鏡界神話‐ポシビリティア

2008年6月9日月曜日

『M・O・D+しぃー ~リトル・リリー~』 (後編)

「さてと、事も一応は治まったみたいだし、俺達は本来の目的に戻るとするよ」
 そう私たちに告げて、セティさんは、崩された威厳を取り戻すように表情を引き締めた。
「はい。色々とご迷惑をお掛けしました」
「否、自分から首を突っ込んだ事だ。礼には及ばないさ」
 感謝する私にそう返すセティさんの言葉からは、貫禄というモノが感じられた。
 しかし、それにしてもこの人は、一体何者なのだろうか。
「ちょっと、格好つけているのは結構ですが、忘れ物でしてよ」
 それまでの経緯(いきさつ)が影響した何処か含みのある言葉を掛け、シェンナさんは、セティさんが外し置いていた双剣に手を伸ばす。
「危ない!」
『?』
 慌ててそれを制止するセティさん。
その言葉の意味を理解できず疑問符を浮かべる私達。
「きゃっ!」
 シェンナさんは、掴んだ双剣を持ち上げようとして、洩らした悲鳴と共に前のめりとなって豪快に転んだ。
「遅かったか・・・」
 その展開を予測していたかの如く、セティさんが悔恨の言葉を口にした。
「ちょっとぉー、何なのですか、コレ!」
「本当に済まない」
 セティさんは、シェンナさんの抗議に対し、今度は先刻と違った真剣な反省の言葉を口にする。
 そして、自らの武器であるそれを拾い上げて、腰の剣帯に戻した。
「この剣は特殊なモノでな。主である者以外には、比重の《制約》が課せられるんだ。まあ、要するに、異常に重いくて持てないだけなんだがな。一瞬だけとはいえ、良く持ち上げられたモノだ。流石は《神聖なる御手》の使い手、『聖信の値』がかなり高いのか」
 この世界に於いて、《神》と呼ばれる特異の存在が認める善行に対し量られる値。
それが『聖信の値』である。
 妙に感心するセティさんに対し、シェンナさんが胸を張る。
「そうね、自慢じゃないけれど、ざっと百二十はあるかしら。ふっ・・・、お嬢様に対する愛情の深さに比例していますのよ」
「そうか、それなら俺のスィーナに対する親愛の深さは、その三倍以上は在るという事になるな」
・・・えっ!?
 事無げに言う口調に聞き逃す所だったが、彼の『聖信の値』は三百六十以上在るという事になる。
 普通、百五十を越えた時点で『聖者』と呼ばれる位のレベルだった。
 それを二倍以上でぶっちぎっているセティさんって・・・。
・・・アレ? セティ・・・?
・・・えぇー!!
「も、若しかして、セティさんって、あのセティさん!? 《マスター・オブ・ヒーロー》! 《英雄皇》ですか!」
「ああ、まあ、多分、そのセティだよ」
 私のはしゃぎ様に気圧されたのか、セティさんの表情には、怯えにも似たモノが浮かんでいた。
『マスターは、こう見えても、結構、繊細な所が多いので余り刺激しないであげてください』
「・・・放っておいてくれ」
 何か照れ隠しのように憮然とするセティさんの反応に対し、私は、苦笑を浮かべて誤魔化した。
「・・・あの、私強くなりたいんです!」
 嘗てこの世界に巻き起こった《光と闇の争乱》を鎮め、甦った《邪神》を討った『栄光の八英士』の一人である存在を前にして、私は、興奮のままにそう口にしていた。
 それに対するセティさんの反応は穏やかであったが、何処か淋しそうな色をその表情に浮かべていた。
「ああ、そうか。そうだな。冒険者である以上はそう望むのも当たり前だな」
 曖昧というよりは、困惑に近い口調で答える彼の姿に、私は、自分の失態に気が付く。
「あの、違うんです! いえ、違わないのですけれど、やっぱり違うんです! えっと、そういう意味じゃなくて・・・」
 私は、誤解と失敗を何とかしようとしどろもどろになって訴えた。
「ああ、分かったから、取敢えず落ち着いてくれ」
 私の態度から、何かを察してくれたのか、セティさんの表情には、優しい笑みが浮かんでいた。
「はい、済みません。あの私、貴方に甘えようとか、そういうんじゃなくて、良かったら教えて欲しいんです。如何したら、貴方の様に強くなれるのかを」
 決してそれは上手な伝え方ではなかったと思う。
 それでも、セティさんは、納得するように頷いてくれていた。
「成る程、キミの気持ちは分かった。しかし、それは俺が如何こう出来る事では無いな」
「ちょっと、それは少し冷たいのではありませんか」
『そうです。冷た過ぎます、マスター』
 セティさんの返答に、シェンナさんとスィーナちゃんが抗議の声を上げてくれた。
「二人共、他者の話は最後まで聴くように」
 話の腰を折られた事を指摘して、セティさんは、言葉を続ける。
「俺が言いたいのは、キミに俺と同じ強さを求めてられても、それを与える術を俺が持っていなという事だ。まあ、正確に言えば、俺の力は俺のみの固有ともいえるモノだから、他の誰にも同じようにはなれないという事だな。それに関しては、スィーナ、お前の方が良く知っているだろう」
『はい。身体的能力や天性の特性という点で、貴女がマスターと同じ経験を積んだとしても、成長の程度に大きな差が生じるでしょう。マスターと同じ稀有な特性を持つ者である雷聖様ならいざ知れず、というのがワタシの見解です』
 スィーナちゃんの解説を受けて、セティさんがハッとした表情を浮かべた。
「そうか! 彼なら、キミの要望に応えられるかもしれない・・・って、あのヒトを捕まえる事の面倒を考えれば、時間の無駄遣いに過ぎないか・・・」
 セティさんは、自ら導き完結させた『答え』に落胆する。
「それ以前に、大切な事を訊き忘れていた。如何して、キミは、強くなりたいんだ?」
「あの私、凄いドジで、何時も皆に迷惑ばかり掛けていて、その中に大好きなヒトがいて、それで少しでも強くなって、そのヒトの役に立ちたいんです!」
 セティさんの尋ねに対し、私は、その答えでもある『想い』を一気に口にした。
 少し捲くし立てて喋り過ぎたと反省する私の瞳に、微妙な反応を浮かべるセティさんの表情が映った。
「済みません。ちょっと取り乱してしまいました」
「否、そうじゃなくて、懐かしい台詞を聴いて少し驚いただけだから」
『はい、本当に驚きです。マスターには、「彼女」達みたいな方を引き寄せる因果が在るのでしょうか』
 私の『台詞』というモノにしみじみとするセティさん達の姿に、私は、困惑の表情を浮かべる。
「いやいや、そうか。それならば、話は早い。これは飽くまで俺からの助言に過ぎないが、キミの場合、強さを求めてそう焦るべきでは無いな。焦れば焦るほど物事が上手く行かなくて、それが更なる悪循環を生じさせる。そう思うのだが」
「焦り過ぎての悪循環、ですか?」
 私は、セティさんが聴かせてくれた助言を一言に纏めて尋ねるように口にした。
「そう。我が身を振り返れば他者の事は余り言えないが、無理をし過ぎればそれが祟って良くない結果を招くという事だ。大切なのは、自分に何が出来て何が出来ないのかを見極め、そこから、何をするべきかを知る事だな。修練と言っても、長所を伸ばすのか短所を補うのかでその方法もかなり違ってくるモノだ」
『そうです。焦ると大切なモノを見失いがちです。先ずは、落ち着いて冷静に物事を見極める事です。冒険者と雖(いえど)も、唯、危険を冒せば良い結果が得られるとは限りません』
 セティさん達の助言に、私は、納得し頷いていた。
「そもそも、少し位の失敗で迷惑だなんて考えず、思い切って遣ってしまえば良いんじゃないか。そこから絆を培えるからこその『仲間』だと俺は思うけどな。キミの想い人はその程度で、キミを見捨てる存在なのか?」
「お姉サマは、そんな人間ではありません!ちょっと、意地悪な所は在るけれど、本当にとても優しい人間です!」
 私の威勢のいい言葉にセティさんは一瞬だけ驚き、それから直ぐに笑顔を浮かべた。
「いや、失敬。知らない相手の事を無闇に量るべきではなかったな。それに何よりも、キミの想い人である彼女に対する想いに対し失礼をした。本当に済まなかった」
 軽口に聞こえるその言葉の中には、全てを察し理解した上での真摯な想いが込められていた。
「私の事を変だとか思わないのですか?」
「否、別に。人間、抱く愛情の形なんてそれぞれに違うモノ。キミの心に在るのが純粋な愛情であるのならば、それで充分だ。それに、キミのその想いを否定する事は、《神》に『全ての自由を許す』という『理』を認めさせた俺の盟友達に対する裏切りだからな。斯く言う俺も、他者に自分の想いを認めさせる為に戦い、《英皇》の名を頂くに至った身の上だ。俺と俺の盟友達がこの世界で《マスター》の称号を冠し続ける限り、キミが抱く『想い』も、そして、そこから生まれた『夢』も、他者に打ち砕かせる事はさせない。それが《英雄皇》である俺の『夢』の一つだ」
『マスター、カッコイイです! 素敵です! そんな恥ずかしい台詞を恥ずかしげも無く言えるマスターは最高です!』
 スィーナちゃんの喝采の言葉に他の皆が苦笑する中、私は、セティさんの強さの理由が、その意思にこそあるのだと理解していた。
「スィーナ、それは決して褒めてないから。というか、お前のお陰で何か色々な事に疲れた。俺は引き篭もる。だから、暫くの間、俺を独りにしてくれ」
『済みません、マスター。調子に乗り過ぎましたー、お許しを!』
 何か地雷を踏んでしまったと思い慌てるスィーナちゃん。
「駄目だ、許さない。反省の為、その娘の支援をしてやれ。《ばじりすく》を育て上げたルヴィナ嬢に負けない成果を期待しているぞ。では、皆、良い夢を! さらば!」
 伝えるべきを伝えたセティさんは、状況に唖然とする私達を放置して、一瞬で姿を消した。
『あの、あの、ワタシはどうすれば・・・? マスター、ひどいデス。ぐすん・・・』
 後に残されて呆然とするスィーナちゃんを前にして、私は、セティさんの好意を理解していた。
「あのスィーナちゃん、否、スィーナさん。お願いします、私の師匠になってください!」
 セティさんは、『支援』と言い表したが、私が求めるべきは『指導』である。
『うん、良いよ。ワタシ、頑張る。そして、マスターにもう一度、パートナーたる存在として認めてもらう。頑張れ、ワタシ! オー!』
 涙でウルウルの瞳で自分を励ますスィーナさんの姿に、私は思わずときめいてしまっていた。
「そうです! ファイトです! オーです! やりましょう、師匠!」
 私は、健気なその姿に自分の姿を重ね合わせて、一緒になって励まし盛り上がった。

「えーと、カポちゃんさん。先刻は、本当にごめんなさいでした」
 私は、もう一度、不思議生物、もとい、カポちゃんに体当たりした事を詫びて頭を下げた。
「いえいえ、お気になさらないで下さい。この鳥モドキは、何時も大袈裟に振る舞いますから」
『オイ、メイド! 勝手に話を纏めるな!』
 調子づくかカポちゃんに、シェンナさんは辟易とした視線を返した。
『《魂震わせる沈黙の鐘》!』
『? ・・・っ! !?!?!?』
 スィーナさんの《魔導》の力によって言葉を封じられたカポちゃんが、バタバタと暴れるのを黙殺して、プリナちゃんが口を開く。
「こちらこそ、ウチのカポちゃんが迷惑を掛けてごめんなさい」
 プリナちゃんは、飼い主としての責任を感じて、代わりにお詫びの言葉を口にした。
「迷惑だなんて、私が悪かったのです」
『皆で反省して譲り合い。美しいです。うんうん』
 スィーナさんは、私達の遣り取りに満足げの様子で何度も頷いた。
「では、私達はこれで失礼しますね。良い夢を!」
 私は、プリナちゃん達二人と一匹に、礼儀である挨拶を告げて、その場から去ろうとする。
「待って、貴女のお名前は?」
 その呼び止められた言葉に、私は、自分が自己紹介を忘れていた事実に気が付く。
「えーと、ファーナです」
「私はプリナ。それで、コッチがシェンナさんで、アッチがカポちゃんです。宜しくね」
 『こちらこそ、宜しくです』と返して、私は軽くお辞儀した。
「あのファーナちゃん。不躾ですが、私とお友達になってください!」
 それは確かに突然の申し出ではあったが、私に依存がある訳が無かった。
「うん、喜んで! では、改めて宜しくです、プリナちゃん」
『仲良しは良い事です。うんうん』
 スィーナさんの言葉に、私とプリナちゃんに加え、シェンナさんの表情も笑顔にほころんだ。

こうして、私に新しい友達と頼れる師匠という二つの掛け替えの無い存在が増えた。
 勿論、カポちゃんやシェンナさんもその中に含まれている。
 そして、セティさんの存在も又、それと同じであった。
 何時かは、私も、彼の様に本当の意味での強さを持つ存在となれるのだろうか。
 それを『夢』に見て良いのだろうか。
 多分、いえ、間違いなくそれで良いのだろう。
 だって、ここは『全ての自由が許された』『夢』に活きる為の世界なのだから。
 だから、先ずは、プリナちゃん達を連れて、シルクお姉サマ達を迎えに行く冒険に出よう。
 それは無理をしない冒険であり、自分が、否、自分達が何処まで行けるかを知る為の冒険である。
「ああ、早くシルクお姉サマの胸に飛び着きたいな」
 私は、そんな想いを口にして、何処までも蒼く澄んだ空を見上げた。



《PS》
 この物語は、天蓬元帥氏原作の『ちょいあ!』と『ラーメンの鳥 パコちゃん』を基にして、パクリ・パロっております。
(一部のキャラは天然派生である事は、あしからず)
 興味が湧いた方は、(是非にも)原典の方こそを一読ください。

『M・O・D+しぃー ~リトル・リリー~』 (前編)

・・・『愛、在りますか?』
「はい。『お姉サマ』に対する揺ぎ無い愛で一杯です!」

・・・『夢、抱いていますか?』
「はい。『お姉サマ』の心を私のモノにする事です!」

・・・『冒険、好きですか?』
「はい。何時か、大好きな『お姉サマ』達(叶う事なら、『お姉サマ』と二人っきりで)と共に、色々な所を巡る冒険の旅をしてみたいです!」


 言うまでも無い事ですが、『私』の性別は『♀』です。
 そして、『私』の大好きな『お姉サマ』の性別も、それと同じです。


 私の名前は、ファーナ。
 『全ての自由を許す』この『世界』の『理』に、『自らの想いに素直で在り続ける事』を『夢』として定めた者である。
 今はまだ、その『想い』は空回りしてばかりだけど、何時かはちゃんと『お姉サマ』の心に届くと良いな。
 その為にも、もっともっと強くならなくっちゃね。
 そう、愛しのシルクお姉サマ(達)と一緒に冒険できるくらいに。
 『ファイトー、ファーナ! お姉サマの心をゲットするその日まで! オォー!』


 その出会いは、一つのハプニングから生まれた。
 正確に言うならば、何時ものドジに過ぎないのだけれど。

「ああ、お姉サマや皆さんは、今頃、楽しく冒険中なんだろうな・・・」
 私は、そう呟きながら、置いてきぼりをされた気分で、独り淋しく街の中をぶらぶらと歩いていた。

・・・ドカっ!

「きゃっ!」
 私は、地面に転がる小石につまずいた勢いのまま『それ』に体当たりし、悲鳴を洩らしていた。
 視界に在るのは、一面の黄色。
 そして、身体に感じる感触は、柔らかく生温かかった。
『クぇー! 小娘、何処見て歩いてるんだ!』
 『それ』は、覆い被さっていた私の身体を押し退けながら、威勢よく咆える。
 私の瞳に映る『それ』の姿を一言で言い表すと、『トリ(?)』だった。
 否、『ヒヨコ(?)』と言うべきだろうか。
 そう、『それ』は、異様なまでに大きな『ヒヨコ(?)』だった。

「・・・」
 驚きの余り言葉を失っていた私に、その不思議生物が新たな憤りの言葉を咆える。
『おいおい、コラっ! 先刻から何無視してくれている。放置か! 放置なのか!』
「あっ・・・、ごっ、ごめんなさい!」
 私は、何とか正気を取り戻すと、慌ててお詫びの言葉を口にした。
『フンっ! 『ゴメン』で済んだら、《使徒》も《天罰》も要らんわ! ボケっ!』
「そんなぁ・・・。ぐすんっ」
 私は、相手の頑(かたくな)な怒りの態度に、途方に暮れる思いを抱く。
「本当に、ごめんなさい」
 私は、如何して良いか分からず、再びお詫びの言葉を口にして、頭を下げた。
『まあ、本当に悪いと思っているなら、ソレ相応の慰謝料を貰おうか。そうだな、20マクシアート金貨で許してやろう』
「えっ、『20MG』って! そんな大金持っていません!」
 『20MG』といえば、人間一人が普通に2周期年は暮らせる分を賄える大金である。
 私は、相手が要求する金額の大きさに思わず叫んでいた。
『じゃあ、しょうがない。身体で払って貰おうか。クぇーケッケッケッ!』
 私の返答に、不思議生物は、邪悪な笑みを浮かべて言い放った。
「そんな、嫌です!(私の初めてのヒトは、お姉サマだと決めているのに!)」
『悪いのはそっちだぞ。ジタバタするな!』
 嫌がる私を捕まえ、無理やり何処かに連れて行こうとする不思議生物。
・・・助けて、シルクお姉サマ!
 絶体絶命の窮地に、私の瞳に涙が浮かぶ。
 その時だった。

・・・ボコっ!

『グェっ!』
 勢い良く脇へと弾き飛ばされる不思議生物。
 そして、私の瞳に大小二つの影が映る。
「大丈夫ですか?」
 大きな影の主である女性が、私の事を気遣い声を掛けてくれた。
「・・・はっ、はい! 助けてくれて、ありがとうございます」
 私は、彼女の出現と、何よりもその出で立ちに気を取られて、一瞬返事を遅らせてしまった。
「いえいえ。こちらこそ、あの愚昧鳥モドキが大変なご迷惑をお掛けいたしました。アレには、後で存分な躾(しつけ)をしておきますので、如何かご安心を」
 『メイド服』というその装いに相余る恭しい言葉遣いで語る彼女の言葉からは、件の不思議生物に対する憤怒が感じられた。
「勿論、ご希望でしたら、この場でアレにはお仕置きいたしますけれど」
 そう付け加える彼女の拳に、淡い光となってオーラが宿る。
「《神聖なる御手》!」
 私は、彼女が示した力の正体に気が付き、驚きの声を上げた。
それは、戦士に属する冒険者が至る最高位職位の一つである《聖騎士》の中でも、《神》の加護を受けるに値する信仰心を持つ者だけに許される栄光の証であった。
「シェンナさん。余り乱暴な事をしたら、カポちゃんが可哀そうだよ・・・」
 メイドさんの隣にいた少女が、状況の雰囲気に怯えているのか、少しオドオドした口調で窘(たしな)めた。
「いいえ、プリナお嬢様。お嬢様に対するこれまでの無礼の数々を反省させる為にも、あの鳥モドキには一度、徹底的に物事の道理を分からせるべきです」
 メイドさん、もとい、シェンナさんは、少女の言葉に対し、穏やかな眼差しを返すが、その決定を変える気は無い事を告げた。
「でも、やっぱり可哀そうだよ」
『うんうん。そうだ! そうだ! シェンナ、プリナの言うとおり、もっとオレに優しくしろ! もっとオレを愛せ! 慈しめ!』
 何時の間にか復活していた不思議生物が、プリナと呼ばれた少女の背後でシェンナさんに調子付いていた。
「ちょっと、カポちゃん。そもそも悪いのはカポちゃんだよ」
『は!? 何だと! 俺は被害者だ! 悪いのは、ぶつかって来たこの小娘の方だ!』
「・・・」
 少女の言葉に再びいきり立つ不思議生物に羽先で指された私は、それが事実である事を無言で認めるしかなかった。
「でも、だからと言って、その娘に乱暴な事をしちゃ駄目だよ」
『くぇ、黙れよ! じゃ、お前がこの小娘の代わりに、慰謝料としてオレに25MGを払ってくれるのかよ!?』
「『25MG』って、そんなお金持ってないよ!」
「さっ、先刻より増えてます!」
 不思議生物の要求に、私と少女は別の意味で悲鳴を上げた。
『は!? 当然じゃん! オレは悪くも無いのに、シェンナに殴られたんだぜ。その分の慰謝料を、ヤツの主であるプリナが払うのは当たり前じゃねえ? 分かったら、直ぐ払え!』
・・・外道か鬼畜です!
 踏ん反り返って息巻く不思議生物に、私は心の中で非難の言葉を突っ込んだ。
「そんな、無理だよ。それってプリナのお小遣い20周期年分以上なんだよ」
・・・うわぁっ、お金持ち! マジ、お嬢様!
 私は、少女の口から語られた言葉に、その裕福な家庭環境を知らされる。
「お嬢様、この鳥頭には、何を言っても無駄です。拾われてお屋敷に居座っている分際で調子に乗って! お望みどおり、今直ぐに成敗してあげるわ!」
 怒り心頭に達したシェンナさんの瞳に、闘志の炎が宿る。
『うわっ、メイドがマジ切れだ! 助けろ、プリナ!』
「自業自得だよ、カポちゃん。それに、私にはカポちゃんを庇う理由が無いよ」
 応えてご愁傷様と呟く少女。
『クェー、薄情者! ペットの粗相は、飼い主の責任だって知らないのか! 潔く責任とれ! 助けろ! オレの盾になれ!』
「潔くするのはアナタの方よ! 大人しく、天に召されなさい!」
 バタバタと逃げ回る不思議生物の動きに先回りして、シェンナさんが《神聖なる御手》を繰り出した。
『クェッ!』
 自らの突進の勢いに押されて、不思議生物の身体がシェンナさんの拳に吸い寄せられる。
「貰った!」
 快心の笑みで勝利を宣誓するシェンナさん。
 しかし、それは空しく裏切られる。
『《神聖なる護盾》!』
 自らの身体に宿した神聖オーラの力で、敵の攻撃を受け防ぐ《魔導戦技》。
 それを用いた闖入者によって、シェンナさんの攻撃は阻止されてしまった。
「何者!」
 シェンナさんは、昂ぶる心によって冴える言葉を発し、目の前に現れた存在にその正体を尋ねた。
「否、済まない。事情は分からないが、状況が状況なだけに、強引なやり方を承知で止めさせて貰った」
 闖入者である男は、多少悪びれた感じを示しながらも、真直ぐな視線をシェンナさんへと返す。
「そう。それならば、貴方には全く関係の無い事だから、引っ込んでいなさい」
『兄貴ぃ、助けてくれー。そのトチ狂ったメイドが、オレを苛めるんだ!』
・・・うわっ、狡猾!
 不思議生物が示した変わり身の早さに、私は、在る意味感心しながら突っ込む。
「と言っているが、如何なんだ?」
 背中に庇う形になった不思議生物の態度に苦笑を浮かべる男。
しかし、その眼差しに宿っているのは、返答の如何によっては戦う事も辞さないと語る強烈な意志の輝きであった。
「先刻も言ったけれど、これは私達の間の問題で、貴方には関係の無い事よ。余計な手出しも口出しも止めて頂きたいわ」
「ほう、《バジリスク》の幼獣相手に、《聖騎士》が全力で戦うなんて、確かに『虐め』そのモノだな。ここは、この珍獣に味方するのが俺らしいかな」
 シェンナさんに軽口のような言葉を返した男の瞳に、他者を圧倒する危険な色が浮かぶ。
「面白いわ。相手をしてさしあげましょう」
 シェンナさんは、不敵に微笑み戦いの構えをとった。
「武器を抜かないのか?」
 素手のままで構えるシェンナさんに、男は少し呆れるように尋ねた。
「あら、貴方の目は節穴かしら。私が武器を持っているように見えまして?」
 挑発するように半眼で見詰めて、シェンナさんは、自分が武器を使わない事を、否、使う必要が無い事を誇示する。
「ああ、そうか。ならば、こちらも最低限の礼儀くらいは示しておくとしよう」
 男は、シェンナさんの態度に笑って応えると、自らの腰に下げた双剣を外して、背後に投げ置いた。
 男の武器が大地を打って響かせた重い音は、かなり離れた私達の所にまで及ぶ。
・・・?
 私がそれに違和感を覚える中、相対する二人の戦いは既に始まっていた。
 最初に仕掛けたのは、シェンナさん。
 《神聖なる御手》によって攻撃力を高めた拳を振るい、男へと挑みかかる。
 男は、それを素早い身のこなしで回避した。
「甘い!」
 短く言い放ったその言葉を気合いに代えて、シェンナさんは、背後に在った男へと回し蹴りを繰り出した。
「・・・」
 男は、迫り来る蹴撃を無言のまま一瞥した後、上半身の動きだけで再び回避する。
 そして、間合いを取るべく背後へと跳躍した。
「少しは、やるようね」
「ああ、『少しだけ』だがな」
 不敵に笑い睨み合う二人。
「ところで、全くの無関係ではなくなった事だし、『手出し』というか、本気を出しても良いか?」
「? 一体、何を言っているのかしら、手加減なんて不要よ。まあ、全力で来ても結果は同じだと思うけれど」
 シェンナさんは、男が口にした言葉の意味を図りかねて一瞬困惑する。
しかし、直ぐにそれを自分に対する挑発の類いだと理解して挑発で応えた。
「では、遠慮なく」
 男は、満足そうに笑うと、身に着けていた腕輪を外して足元へと落す。
「?」
・・・?
 男がしたその行為の意味を、彼以外の誰一人として理解していなかった。
 しかし、本能的にその場の空気が大きく変わった事だけは感じ取る。
「本来、人間相手に使う力では無いが、貴女の目を覚まさせる為の荒療治だ。恨まないでくれ」
 その情けを示す言葉とは裏腹に、男の瞳には、一切の迷いが存在していなかった。
『《神聖なる御神楽舞》!』
 言い放たれた《力奮う真名》に応えて、男の全身に強烈な波動の神聖オーラが宿る。
『・・・』
 その場にいた全員が、彼が示した力に畏怖の身震いを覚えていた。
 そして、次の瞬間、その超絶なる力は、敵対するシェンナさんへと叩き込まれた。
「っ!」
 悲鳴を洩らす事すら許されず、シェンナさんは、一瞬で気絶する。
「おっと!」
 男は、シェンナさんの身体が地面へと叩きつけられる前に、素早く巡らせた腕で彼女の背中を支える。
 そして、片手で懐から回復薬の小瓶を取り出すと、その栓を歯で抜いて、中身を彼女へと振り掛けた。
「・・・うーん」
「流石に遣り過ぎたか・・・。しかし、貴女があの《バジリスク》の幼獣相手にしようとした事は、俺が貴女に対し、本気の力をぶつけたコレと同じ事だ」
 目を覚ましたシェンナさんに苦笑を示し、男は、説教の言葉を口にした。
「あの鳥モドキは、洒落にならない悪戯ばかりするのよ! それにお仕置きするのは当たり前でしょう!」
 シェンナさんは、未だ自由にならない身体を震わせて、男へと反論の言葉をぶつけた。
「幼獣とはいえ《バジリスク》が、人間に特別な危害を与えない程度に懐くのは、極めて珍しい事だ。『悪戯』という事は、別に人間を襲って喰ったりする訳ではないのだろう? 多少の事ならば大目に見て、仕置きに手加減も必要なんじゃないかな」
『そうだ! そうだ! 兄貴ぃの言うとおりだぞ。皆、オレに優しくしろ! もっとオレを甘やかせ!』
・・・嗚呼、不思議生物が調子に乗っています。
「おいおい、余り調子に乗るな、珍獣。別に俺はお前の完全な味方という訳ではない。というか、お前が『悪戯』に過ぎて、他者へと危害を加える存在であるならば、俺は容赦なくお前を狩るぞ。《ガーディアン・ブレード》を持つ者の誇りに懸けてな」
 男の言葉と何よりもその鋭い眼差しに射竦められて、不思議生物の表情に動揺が浮かぶ。
『クェー! な、何を言ってるんだよ、兄貴ぃ! オレは良いコだぜ。そう、あの空に浮かぶ雲よりも潔白だぜ!』
・・・大嘘つき!
 私は、思わず心の中で突っ込んでいた。
 そして、それは他の面々も同じ思いである事がその表情から窺がわれた。
「まあ、それなら良いが・・・。取敢えず俺を『兄貴』と呼ばないように、俺の《ばじりすく》の義妹が、《バジリスク》のお前と混合されて益々迷惑するからな。それと主であるその娘に余り迷惑を掛けるなよ。正直、お前みたいな先入観で嫌遠(敬遠)される種族を、気に懸け案じてくれる存在なんて、稀有に近い。彼女の優しさに対し、もう少し感謝しておけ。まあ、生命の恩人として、他にも言っておきたい事は多々あるが、実際、俺も暇では無いからな、これ位で勘弁しておこう」
 付け加えるように『丁度、迎えが来たみたいだしな』という言葉を口にして彼は、視線を私達の後ろへと向ける。
そこにひょっこりと現れたのは、不思議生物と同じ《ナビ》とは思えない程に、可愛らしい存在であった。
『マスター、急にいなくならないで下さい。心配しましたよ』
「ああ、済まなかったな、スィーナ。このお嬢さんと少し戯(たわむ)れていただけだ。それに、ここで寄り道した御陰で、ルティナの謂(いわ)れの無い悪評の原因も分かったし、解決もした」
 セティと呼ばれた男は、迎えに来た相手に応えて、優しさが込められた爽やかな笑みを浮かべる。
『マスター、不誠実はご自分のクビを絞める事になりますよ。そのお姿をアルディナ様に見られたら、「誤解だ」という言い訳もしようが無いかと・・・』
 そう呆れ半分に言うスィーナちゃんは、残りの半分で主が身を置く状況を面白がっていた。
「ばっ、莫迦を言うな。それこそ『誤解』だ!」
 自分がシェンナさんの身体を抱きかかえている構図を指摘され、セティさんは、慌てた様子で腕を引き抜いた。
「えぇーっ、ちょっと、いきなり放り出さないでください!」
 両足を踏ん張って転倒を免れたシェンナさんは、抗議の言葉と眼差しでセティさんを射る。
「ああ、済まない。ちょっと、乱暴にし過ぎたかな」
 その言葉には、余り悪びれた感が無かった。
『マスター、反応が面白いです』
『クェー! ケッケッケェーっ!』
 大きく丸い瞳を細めて笑うスィーナちゃんと、それに乗じて大笑いする不思議生物。
「奇声を上げて笑うな、珍獣!」
 笑っているのは同じなのに、不思議生物にのみ一喝するセティさん。
 それに対し、一喝された不思議生物は、声を出さずに無言で笑い続けていた。

2008年6月1日日曜日

『M・O・D+しぃー ~プリンセス・リリー~』 (後編)

「シルク、避けてっ!」
 叫ぶと同時に、タイミングを見計らって《魔導》の力を発動させるメリィア様。
 狙いに違わず、生み出された魔力の刃が魔狼皇を薙ぎ払い、その体勢を切り崩す。
 そして、私とアンナさん、それに回避からの着地と同時に踏み込んだシルクさんの攻撃が一斉に、敵の巨体へと叩き込まれる。
「貰った! 《深闇を切り裂く光の閃刃》!」
 チェリナ様の意志によって最大威力まで高められた光の魔力は、交差する刃の形を以って、魔狼皇の身体を穿つ。
 それで戦いの大局は一気に決した。
「皆、止めの一撃を!」
 私は、叫び、自らも武器を手に勝負を決する行動に出る。
 断末魔の咆哮を上げ崩れ落ちる凶獣の体に、地面が大きく震えた。
「勝った、・・・の?」
 半ば呆然としながら、私は、勝利を確信する為にその巨体へと近付く。
 歩み寄り間近へと至るにつれ、巨獣の体躯の巨大さを改めて思い知らされる。
 そして、ゆっくりと灰塵の如く消えていく魔狼皇の亡骸に、私たちは、勝利を現実にする。
 後に残されたのは、深紅の色を持つ鉱石の塊のみであった。
「やったわね!」
 歓び勇む仲間たちの声を背に受けながら、私は、視線をもう一つの戦いに向けた。

 残されたもう一匹の凶獣と戦う彼の姿は、何故か先刻に較べて、大きく精彩を欠いていた。
 苦戦ではないにしても、一進一退の攻防を繰り広げる彼の戦い振りに、私は、違和感を強くする。
 私を助けてくれた時の姿を思えば、明らかな違いがそこには存在していた。
 そう感じているのは、他の皆も同じであるらしく、如何するべきかと考えているようであった。

『俺が苦戦しているように見えても構わずにいてくれて結構だから』
 彼は、戦いの前にそう私たちへと釘を刺した。
 ならば、ここは今しばらく様子を見るべきだと判断し、私は、彼の戦いを見守る事にした。

「うーん、観客に心配されているみたいだし、遊びはこれぐらいにして、そろそろ本気を出すとするか」
 彼が嘯くその言葉を聞いたのは、恐らく一番近くにいた私だけだろう。
 そして、彼が口にした言葉と共に一瞬だけ見せたモノは、私の心を烈しくざわめかせた。

「《魂穿つ無限の神刃》!」
 その《力奮う真名》に応えて、彼の手に握られた長剣の刃に淡い光が宿る。
「行くぞ!」
 言い放ち、一歩後ろに跳んだ彼は、着地と同時に、言葉どおり目にも止まらぬ身のこなしで突進し、次の瞬間には魔狼皇の背後に立っていた。
 頭を一刀両断にされ、断末魔すら上げずに地面へと倒れ伏した凶獣の巨体が、再び大地を揺らす。
その鮮烈な勝利は、余りにも鮮やか過ぎて、逆に呆気ないモノのように私の心へと映った。

「おめでとう」
 彼の口から告げられたその言葉が、呆けていた私の心を正気に戻す。
「・・・あ、ありがとうございます」
 私は、まだ気が動転しているのか、気の抜けた返事を返すのがやっとだった。
「おぉー、運が良いな。両方とも『アタリ』だ」
 彼は、自ら倒した敵の分と私達が倒した敵の分の戦利品を拾い上げ、そそくさとその両方を私に手渡した。
「良いんですか、これ、貰ってしまって?」
 私が洩らしたその言葉に、彼は、訝るように眉を曲げる。
「それが必要だから、こんな所まで来たんじゃないのか?」
 そう尋ね返されて、私は勿論、他の皆も困惑する。
 正確に言うならば、私たちは、唯、噂に聞く《死眼の凶獣》を見物に来ただけである。
 だから、まさか本当に倒せるとは思っていなかった。
「その、実を言うと、私たち、《死眼の凶獣》を見に来ただけなんですけど・・・」
「えーと、それって唯の物見遊山に来てたという事?」
 彼は、私が口にした言葉を聞いて、微妙な表情を浮かべる。
「はい。『狩り』は狩りでも、『散策』するという意味の『狩り』でここまでやってきました」
「・・・」
 一瞬の沈黙、そして、彼は、大きな笑いを洩らした。
「済まない。俺がとんでもない勘違いをしてしまったみたいだな」
「いえ、私たちにしてみれば、助けて貰った上に、こんな貴重な体験が出来て感謝しなければです」
 私がそう言うと、他の仲間たちも皆一様に頷く。
「否、本当に済まない勘違いをした。キミ達を無駄に危険な目に遭わせたのだから、これは詫びようもないな」
 それまでとは全く違う真剣な眼差しに、彼が本気で反省している事が窺がわれた。
「では、その『オマケ』は、今回のせめてものお詫びとして受け取っておいてくれ」
「でも、これってかなり高価なモノなんじゃ・・・?」
 嬉しい申し出ではあるが、恩を受けて更にそれ以上の物を受け取る訳には行かなかった。
「多分、そうだと思う。でも、俺には必要無い物だし、それに、その石には二重三重のトラウマがあるから、正直、見るのも触るのも遠慮したい。要らなければ、その辺に捨てておけば良い」
 それが冗談ではなく、本気で在る事は、彼の目が正直に語っていた。
「では、ありがたく貰っておきます」
「ああ、そうしてくれ。まあ、キミ達なら、《獣神皇の護冠》も充分に似合うだろうしな」
 彼は、何かを思い出すようにして、苦笑混じりに笑う。
「しかし、凶獣がらみでこのオチは、セティの時のそれと同じじゃないか。こりゃ、キミは第二の《英雄皇》になる宿命に在るのかもしれないな。・・・否、寧ろ、エンの奴を彷彿させられるか・・・」
 更なる苦笑を浮かべながら独り言の様に呟く彼の視線が、私の視線と重なると同時に穏やかな笑みへと変わる。
「・・・『セティ』! 『エン』って、あの《至高の英皇》と呼ばれるエン様ですか!?」
 憧れ以上の想いを抱くその存在の名を聞き、私は、興奮の余り叫んでいた。
「ほぉー、『様』付けとは、奴の本性を知らないとみえる。どんな良い噂ばかり聞いているかは知らないが、余り期待し過ぎると本当のアイツを知った時の衝撃が大きくなるぞ」
 そう語る彼の言葉に悪意は無く、それどころか好意にも似た親しみが存在する事は分かっていた。
 それでも、私は、彼が口にした『本性』という言葉に感情を逆撫でされてしまった。
「貴方に、彼の何が分かるというのですか!」
 そう、私が『彼』に、《至高の英皇》に憧れるのは、彼の『本性』に対する部分が大きかった。
 嘗て他者は、自らの嗜好を貫いた彼を天性のダメ人間と嘲笑った。
 しかし、彼は、その嘲りに屈しない想いを培い、終には、世界に名高き冒険者の一人となった。
 彼が貫いた嗜好自体に重みがある訳ではない。
 その嗜好を貫いた理由と、それを貫く意味にこそ重きがある。
『ネコ耳メイド服は、漢のロマンだ!』
 その彼の言葉は、他者が聞けば嘲りを受ける謂れとなる。
 しかし、彼を信じ支えた唯一の存在は、それを彼にとっての『正義』だと認め、自分にとっての『誇り』だと受け入れた。
 だからこそ、彼は、その『正義』と『誇り』を護る為に、自らの想いを貫き、それを意志に変えて《皇》と呼ばれるまでに至った。
 嘗ての邂逅、その時、彼は私にこう言った。
「好きなモノが在るならば、唯、素直にそれを好きだと主張し、愛し続ければ良い。確かに、この世界は、酷く残酷な場所だ。だが決して非情な意志が支配する場所ではない。君が大切なモノに対するその想いを護りたいと望むならば、必ずそれを助けてくれる存在はいる筈だ。俺にアユラがいて、アユラにアユラを想って味方となり、その想いを護ろうとした存在がいた様にね」
 彼は、《導き手》であるその存在を愛し、その存在に愛され《皇》へと至った。
 その彼が私に授けてくれたモノ、それが、この世界に於ける私の『夢』となる福音だった。
 だから、『彼』の本性に対する否定は、私の『想い』を否定しているのと同じであった。
「俺が、アイツに対し知る事は、アレがどうしようもない大莫迦であるという事だけだよ」
 その言葉に再び、感情が昂ぶる私。
 しかし、更に紡がれた彼の言葉によって、氷解する。
「だが、だからこそ、俺は、アイツを真の英雄に至る者だと信じた。まあ、未だにアレの本性は理解しきれないが、それでも理解したいとは思っている」
 その言葉に込められているのは、唯、真摯なる想いのみ。
 私は、目の前にいる相手が誰であるか、その正体を予感する。
 そして、何故、彼が自分を助けてくれたのか、その理由を理解した。
「だがしかし、不要な発言をして、キミを不愉快にした事は謝ろう。済まなかった」
 彼の正体が、私の予感どおりならば、謝るのは私のほうである。
「私こそ、感情的になってしまい、済みませんでした」
「否、それは別に構わないさ。寧ろ、他者の為に本気となれるその感情を、好ましく感じるくらいだ。特にこんな世界に於いてはね」
 そう応えて笑う彼の瞳には、単純な言葉では言い表せない、深い想いの色が宿っていた。
「では、互いに幾許かの相互理解を果たした事だし、俺はこれで失礼しよう。良い夢を!」
 彼は、満足げに再び笑うと、別れの礼儀を告げて去って行こうとする。
「待ってください!」
「うぬぅ?」
 私に呼び止められ、彼は、如何したのかと瞳で問う。
「色々とお世話になった御礼をしたいのですが・・・」
 私は、そう告げて、彼に対する礼の手段を自分が持ち合わせていない事に気がつく。
「別に礼を受ける程の事はしていないから、気にしなくって構わない」
 私は、彼の性格ならそう言って当たり前だと納得する。
 しかし、意外にもその言葉は直ぐに改められた。
「と、言いたい所だが、折角だからそのお礼というモノを頂戴するとしようか。それもキミの身体でね」
 彼の言葉の真意を図り兼ねて困惑する私の背後で、仲間達が彼へと軽蔑の眼差しを向けるのが分かった。
「だ、だめですぅ! それなら、ホリィーちゃんに代わって私が払います!」
 私の身を案じ、彼の前に立ちふさがるように躍り出るユーマちゃん。
 そのユーマちゃんを、彼は、つま先から頭の天辺まで探るように見回し、何故か軽く溜息をついた。
「済まない。キミでは俺の要望に応えられない」
 彼はユーマちゃんに対し、そう告げると、もう一度、彼女を一瞥して溜息をついた。
「な、なぜですか! 私がツルペタだからですか!」
「ユ、ユーマちゃん・・・」
 私は、彼女の反撃に一瞬だけ脱力を覚える。
 それに対し、彼は、困惑の苦笑を浮かべていた。
「否、そういう事ではなくて・・・。俺の言い方が悪かった。もっと考慮した言い方にするべきだったな」
 彼は、苦笑を快笑にして、言葉を続けた。
「キミの名は、ホリィーというのか。ならば、ホリィー、キミに一つ頼みがある。簡単なことであり、そして、難しい事でもある。今のまま変わらぬキミで在り続けてくれ」
 そう告げて、彼は、自分の前に立つユーマちゃんの脇をすり抜け、私の耳元で呟いた。
「今、その胸に在る想いを大切にし、彼女を護り続けてやるんだ。誰よりも何よりも『彼女』の事が大切なんだろう、キミは?」
 それは、私の『夢』を確かに肯定する言葉。
 だからこそ、彼の真意に驚く。
「何故っ!?」
「分かるさ、俺にも在るからな。自分の全てを尽くしてでも護りたい大切なモノが」
 彼は、笑んだ視線の先でユーマちゃんを一瞥し、更に深い笑みを浮かべる。
「私の事、普通じゃないと思わないのですか?」
「どこが? 人間が人間を想う気持ちに普通も何も無いだろう。それに『普通』なんていう常識は、その他大勢が勝手に決める意見の総意だろう。そんな自分が加わっていない事項に特別な意見を持つ気は無いさ」
 彼は、飄々とした口調で答えて苦笑する。
「そして、俺は自分の目で見た『真実』しか受け入れる積りは無い。キミは、本気で彼女を護ろうとした。だから、それだけで充分だ」
 彼は、その言葉と共に、一瞬だけ自らの心に秘めた想いを示す眼差しを私に向ける。
 それは、同じ想いを抱く者に対し向ける親愛の眼差し。
 その眼差しの意味を理解した私に満足し、彼は、軽く私の頭を撫でた。
「では、そういう事だ。達者でな、ホリィー」
「はい、貴方も良い夢を!」
 踵を返して去って行く彼の背中に別れの挨拶を告げる私。
 そこで、終われば美しい想い出として、全てが治まるはずであった。

「あっ、待って! 私からの御礼です!」
 ユーマちゃんは、トテトテと彼の許に近付くと、その頬に口付けをする。
『っ!』
 彼女の行為にその場にいた一同が驚く中で、一番に驚いていたのは、その御礼を受けた彼自身であった。
「素敵な御礼をありがとう、お嬢さん。でも、できる事なら、コッチの方が好ましかったかな」
 そう言って、意地の悪い笑みを浮かべながら、彼が指で指し示したのは、自らの唇であった。
 その悪ふざけを私が咎める前に、その存在は現れた。
「なら、私がそのコに代わって、貴方に濃厚な口付けをしてあげましょうか」
「うっ、現れたな! 招かれざる『ネコ』!」
 彼の表情に動揺が浮かぶ。
「ふっふっふっ! ここであったが百年目! 覚悟は良いかしら、ねぇーっ?」
「百年の歳月の間に又、その妖力を高めたか、このネコマタめ」
 彼と彼女の間に生まれ高まる緊張の激しさに、私たちは、全員が息を吸う事しか出来ないほどに緊張していた。
 眩しいほどの純白の毛皮に身を包み、強烈なまでの魔力をもって陽炎を立ち上げるその姿は、正に妖怪・・・否、魔獣・ネコマタであった。
「周囲を巻き込んでの戦いなど迷惑千万。という事で、ここは大人しく退却だ。皆、さらば!」
 妙に爽やかな笑顔で言い放つ彼だったが、次の瞬間、はっとした表情を浮かべて氷つく。
「やば、腕環着けっぱなしだった・・・」
 その言葉の意味は分からなかったが、それが彼にとって致命的な失敗である事だけは明らかであった。
「斯くなる上は、奥の手だ! 《神そ・・・、っ!? マジですか?」
「ふっふっふっ・・・、甘いわね。私が何度も同じ手を許すと思わない事ね。《月光の縛牢》は既に発動済みよ」
「ちっ、万事窮すか・・・」
 何かを達観して天を仰ぐ彼に、彼女は止めを容赦なく刺す。
『《魂縛る魔呪の蔦》!』
 それは精神に作用して、相手の動きを奪う攻撃補助魔法。
 驚くべきは、それを彼女が同時に三重発動させて放った事である。
 最初に用いた分を合わせれば、彼女は、全部で四つの魔法を連続発動させた事になる。
「まさか、《魔司》ッ!」
「ええ、それも信じられないくらいに凄い熟練振り・・・」
 《魔導》と呼ばれる特異の力への造詣が深いだけに、メリィア様とチェリナ様の二人は、彼女の実力に驚きを隠せずにいた。
「攻撃魔法で戦意喪失という『詰め』を打たれなかっただけ感謝しなさいよ!」
「分かった。分かった。ありがとさん」
 何が可笑しいのか、魔力の戒めに座り込みながら、彼は僅かに笑った。
「では、皆さん。このド阿呆剣士の処分は私がするので御機嫌よぉ。良い夢をね」
 満面の笑顔で告げる彼女のご機嫌ぶりが凄く怖かったが、それを口に出せる人間は存在しなかった。
「そういう事で、キミ達も元気でなぁ。さらば!」
 ズルズルと引き摺られていく彼が告げた苦笑の言葉には、何処か哀愁が感じられた。
 だから、私は思わず言ってしまった。
「お幸せに・・・」
「ああ、キミ達もなぁ!」
 その苦笑の奥に隠された『真実』に気が付いたのは、私だけであった。

「結局、あのヒトは一体、何だったのだろうね?」
 ユーマちゃんが、台風の過ぎた後の爽やかな空気を思わせる笑顔で私に尋ねる。
「ホント、何だったのだろうね」
 私は、既に予感から確信に変わっていたその応えを、敢えて誤魔化す事にする。
 それは、彼の名誉の為であり、私自身の幸せの為でもある。
 私は、この世界で幸せになる為には、あの二人にだけは深く関わってはいけない事を本能的に感じていた。
 でも『禍福はあざなえる縄の如し』とも言うし、本当に如何しようも無く困った時には、彼ら二人を頼ることにしよう。
 彼らなら、きっと私に必要な助けを与えてくれるはずだから。
「まあ、何はさて置き、それはそれで楽しかったわね」
 チェリナ様の一言に皆が頷く。
「じゃ、そろそろ帰るとしましょうか」
 メリィア様は満足そうに笑って促す。
「一応、自慢に思って良いんですよね。今日の事?」
「一応も二応も無く、自慢というか自信に思って良いんじゃない。実際」
「・・・うん。私たち、凄い・・・」
 シルクさん、アンナさん、そして、フィーノさんも嬉しそうに語り合う。
「では、帰路に出発!」
「うん。でも、その前に・・・。ホリィーちゃん!」
「何?」
 私は、ユーマちゃんに名前を呼ばれて振り返る。

『ちゅっ!』
 私の唇に、ユーマちゃんの柔らかな唇が重なる。
「約束。助けてくれて、ありがとう」
 上目遣いに私を見詰めながら、照れたようにはにかむユーマちゃん。
・・・うぅーっ、可愛すぎる! もう駄目! 嬉しすぎて、ふにゃふにゃぁー!
『バタっ!』
 私は嬉しさに気絶寸前の意識を必死に堪えて、心の中で彼に対する感謝の言葉を呟く。
・・・『雷聖さん、ありがとう。お陰で良い夢を見られそうです』
 私は、意識が薄れる中、自分の身体の痛みすらも幸せに感じていた。
 だって、それは先刻の出来事が決して『夢』ではない事を教えてくれているのだから。


《PS》 
この物語は、『ちょいあ!(天蓬元帥氏・著 徳間書店・刊)』の登場キャラを基にしてパクリ・パロったモノです。
元となる『原典』の方は、『萌え萌え』の本当に面白い作品なので、興味をもたれましたら、是非(買って)一読を!

『M・O・D+しぃー ~プリンセス・リリー~』 (前編)

・・・『愛、在りますか?』
「はい。『彼女』に対する溢れんばかりの愛情が」

・・・『夢、抱いていますか?』
「はい。『彼女』をお嫁さんにする事です。勿論、その逆でも可です」

・・・『冒険、好きですか?』
「はい。『彼女』や大切な『仲間たち』と共に過ごす冒険の日々は、私にとっての最良です」


 誰に断わるまでも無い事だけれど、『私』の性別は、正真正銘の『♀』である。
 そして、『彼女』と『仲間たち』の性別も、それと同じである。
 この世界、『神蒼界』において、絶対である『理』、それは『全てを許す自由』。
 故に、世界は、『私』たちの存在とそこに在る関係の全てを受け入れている。
『世界』が『私』たちに許す『自由』、それが絶対である事を『私』は信じている。
 『私』の名前は、ホリィー。
 この世界に在って、『倫理の束縛という枷に縛らず、真の愛を貫く事』を自らの唯一の『夢』とし、冒険の日々に活きる者である。
 では、『私』の愛しくも大切な『仲間』たちと過ごす冒険の日々を、ほんの一欠けらだけここに綴るとしましょう。


『では、本日の冒険は、《深淵の闇満つる森》に行って、《死眼の凶獣》を狩る事に決定でーす!』
 そう宣言するのは、私の愛しい女性(ひと)であるユーマちゃんである。
 彼女は、小柄な身体つきと幼さを残す顔立ちから、未熟な冒険者という印象を抱かれ易い。
しかし、その実は、かなりの実力を培った《神聖術士》であり、癒し手として私のパーティーに於ける冒険の要となっている。
そして、彼女は唯、私達の身体の傷を癒してくれるだけでは無く、その愛らしさで私たちの冒険に疲れた心も大いに癒してくれる存在であった。(主に、私の心を、であるが)
「はーい、了解です!」
「了解した」
 声を揃えて返事を返すのは、チェリナ様とメリィア様の二人。
 二人は、昔からの冒険仲間で私たちより一日の長がある冒険者である。
縁あって私たちパーティーに加わってくれているが、その実力から考えると、本当に在り難くも頼りになるお姉サマたちと呼べる存在であった。
 因みに、チェリナ様は、ユーマちゃんと同じ神官系の職位から進んだ先に位置する《神聖魔導師》であり、メリィア様は、攻撃魔法を得意とする魔術士系から進む形で同じ《神聖魔導師》をしている。
「ふむぅふむぅ。今回の相手は中々の難敵だねぇー、どんな衣装で行こうかしらねぇ、アンナ」
「それを言うなら、『衣装』じゃなくて『装備』でしょう。ほんと、貴女は相も変わらずね、シルク」
 近接武器と攻撃魔法の力を合わせ用いる《精霊戦士》であるシルクさんは、奇抜とも言える装いを好む冒険者であり、それに対し、アンナさんは、真面目でしっかりした感のあるその人柄に似つかわしい《重装剣士》をしている。
 今の遣り取りからも分かるように、二人は付き合いの長い冒険者同士である。
 因みに、シルクさんはチェリナ様たちと同じ冒険者ギルドに属しており、そのシルクさんとの縁で、チェリナ様たち二人は、私たちパーティーの支援役を引き受けてくれている。
「・・・シルクがこうなのは、ずっと昔から・・・なの?
成長率、悪過ぎ・・・?」
 やや抑揚に乏しい突っ込みを囁くように口にしたのは、フィーノさん。
 彼女は、その儚さすら在る可憐な容姿とは真逆な毒草・毒薬の研究という趣味から、《ポイズン・プリンセス》という異名を冠する《魔術士》である。
 因みに、ファーノさんは、実力的には上位の職位に進む資格を持ちながら、趣味の研究に忙しくて今の職位に留まっている身の上である。
 そして、シルクさんたちと同じ冒険者ギルドに所属している事もあり、彼女たちとは旧知の関係である。(シルクさんは、ほんの少し前まで、ファーノさんの存在を同じギルドの人間だと気がついていなかったみたいだけれど)
 斯くいう私は、最愛のユーマちゃんを身を挺して護る為、《神官》を経て《神官戦士》の職位へと進んでいる。
 今はまだ冒険者として未熟だけど、沢山頑張って、何時かは、《神聖騎士》になって、ユーマちゃんをどんな敵からも護れるような立派な冒険者になりたいな。
 そう、最愛の存在を護る為に活き、終には《至高の英皇》と呼ばれるまでの冒険者となった『彼』のように。


「では、皆さんの準備も整ったようですし、出発しましょう!」
『おオォー!』
 不詳ながらパーティーのリーダーである私の掛け声に、其々が歓声混じりに応えてくれる。
 シルクさんの存在を中心に、『異彩』とも言える程に個性の豊かな私たちパーティーは、他の人々から奇異の眼差しを向けられる事も多い。
 それは、全員が女性である事もまた大きいのであろう。
 でも、そうである事が私たちなのである。
 だから、私は、それで良いと思っている。
 大切な存在たちと共に過ごす歓びに較べれば、周囲の反応なんてミジンコよりも取るに足らない瑣末である。
 そうそれで良いのだ。
「出発進行!」
「ホリィー・・・、《深淵の闇満つる森》は、こっち・・・」
 ナビ・ペットである《ラッキ・セヴィン》さんを肩に乗せたフィーノさんに袖を引っ張られて、私は、道を間違えていた事に気が付く。
「ふっふぅーん。さては、ユーマちゃんにイケナイ悪戯をする事でも妄想して、ポけぇーっとしていたんでしょう?」
 意地悪な笑みと共にそう口にするのは、チェリナ様。
「ちっ、違います! ちょっと、うっかりしていただけです」
 私のユーマちゃんに対する想いは、既に皆が御存知の事である。
しかしながら、私は、その誤解を解こうと慌ててしまう。
「冗談だから、そんなに慌てなくて大丈夫。それにユーマちゃんに悪戯しようと考えていたのは、私だから。という訳で・・・、エイッ!」
 チェリナ様は、笑ってユーマちゃんへの悪戯を実行する。
「きゃっ!、なっ、何をするんですかぁー!」
 捲られそうになる服の裾を手で押さえつけながら、ユーマちゃんは、犯人であるチェリナ様を上目遣いに睨み返す。
 羞恥に頬を染めるユーマちゃんの姿に、皆が微笑ましいもの見る温かな眼差しを向ける。
「はい、はい! 遊んでないで行くわよ!」
 クールな口調で言いながらも、目だけは笑っているメリィア様に促されて、私たち七人と一匹は再び歩き出した。


「さてと、目的の場所に着いたのは良いけれど、それらしきモノは何処にもいないわねぇ」
 シルクさんは、頭のネコ耳とお尻のシッポを揺らしながら、周囲を見回す。
「話によれば、この辺りにふらりと出没するらしいけれど・・・、いないわね」
 シルクさんと同じ様にぐるりと周囲を見渡し、少し落胆したように呟くアンナさん。
「いない、ですね」
 私も周囲に視線を向けたけれど、視線に映るのは赤銅色の毛皮を不気味に揺らして、こちらの様子を探っている鬼獣の群ぐらいである。
「ラッキさん・・・、あそこにいるお友達に《死眼の凶獣》が何処にいるか訊いて来て・・・」
『ミュウー、ミュウー(おナカがすいたよぉー)』
 フィーノさんの言葉に、一瞬、期待したけれど、それは如何やら無理みたいだった。
「ここまで来て、手ぶらで帰るのもアレだしね。取り敢えず、私たちをエサにしようとしてる、あそこの鬼獣達でも片付けておきましょうか」
 メリィア様は、にじり寄ってくる鬼獣達の様子に気がついてそう言うと、鋭く冴えた瞳に好戦的な色を宿す。
「じゃ、まあ、そういう事で。皆、気を抜いちゃ、ダメよ」
 チェリナ様は、私たちにそう告げて、早速、《力導く言葉》を紡いで、全員に戦闘補助魔法を施す。
 戦闘に慣れ過ぎるほどに慣れている二人と違い、私は勿論、他の四人にもそれなりの緊張が生まれる。
「大丈夫、何が在ってもユーマちゃんだけは、私が護るから」
 私は、ユーマちゃんへとその言葉を掛け、背後に庇う形で彼女の前に立つ。
「あのぉ、盛り上がっている所をゴメン。『アレ』って、やっぱり『ソレ』かな?」
『?』
 アンナさんは、おずおずとした口調で言って、集った皆の視線を無言で動かした指の先へと誘う。
『!?』
 『アレ』『ソレ』の正体に気がついて、全員が一瞬、言葉を失う。
「・・・ええ、多分。『ソレ』ね」
「最悪・・・」
 私達の視線の先には、巨大としか形容できない黒銀の皮衣を身に纏った魔狼皇《死眼の凶獣》の陰が、二つ存在していた。
「・・・これって凄くマズイ、よね?」
 ユーマちゃんは、信じられない展開に、誰とは無しに疑問の言葉を投げ掛ける。
『・・・』
 私たちが示した無言の肯定に、ユーマちゃんが涙目になる。
「どっ、如何しよう! 逃げるしかないの?」
 アンナさんは、同様の余りにパニック寸前の態で皆に視線をやる。
「・・・もう、遅い。逃げられない・・・」
 ファーノさんの言葉どおり、時は既に遅かった。
 それは、周囲を取り囲む鬼獣達の異変が最初から、物語っていた。
 それまでとは違い異常なまでに興奮した鬼獣達の様子に、私は、事態が唯ならない事になっていると理解する。
「もう、何でも仕方が無いです。兎に角、やりましょう!」
 私は、破れかぶれの想いで自分の得物である魔導混杖に力を宿す。
「そうね。そういうのは好きよ。余計な事を考えるより、思いっきり暴れる方が、私の性にあってるわ」
「じゃ、皆、護りは私とユーマちゃんに任せて、思いっきり暴れてやりなさい!」
 メリィア様の言葉に応えて、チェリナ様の瞳にも好戦の炎が燃え上がる。
「・・・先ずは、鬼獣達から・・・。ラッキさん、隠れてて・・・」
 相変わらず抑揚に薄いが、フィーノさんも覚悟を決めたようであった。
「しょうがないですなぁ。本気、出しちゃいますか。アンナ、転ぶんじゃないわよ!」
「貴女もね」
 告げて不敵に笑い合うシルクさんたち。
その遣り取りを頼もしく感じる。
「ユーマちゃん。気を付けてね」
「ホリィーちゃんもね。頑張って」
 彼女の励ましの笑顔が私にとっては、最高の勇気となる素である。
「うん、頑張るよ!」
 私は、ユーマちゃんに負けない笑顔で答えて、鬼獣達の攻撃へと身構えた。

 私たちは、其々の連携を活かしながら、鬼獣達の大半を倒していた。
「ハァー、やっぱり少しきついわね」
「何、もうへたばっちゃったのかなぁ? 本番は、まだまだこれからよ」
 アンナさんが洩らした言葉に、意地悪く突っ込み返すシルクさんだったが、その表情には隠しきれない疲労の色が在った。
 そして、その疲労は、二人だけに限らず、私たち全員に存在していた。
「そうね、まだメインディッシュの『アレ』が二匹も残っているんだし、へたばってはいられないわよ」
 叱咤の言葉を口にするメリィア様の疲労は、それまでの活躍が華々しかった分だけ誰よりも濃かった。
「じゃ、チャッチャとメインへと取り掛かるわよ!」
 威勢は良いが、チェリナ様も私たちを護る為に施し続けた魔法でかなりの魔力を消費したらしく、憔悴の色を表情へと宿していた。
 正直、誰もが限界に近い状況でるのは確かだった。
「・・・皆、がんばる・・・。勿論、私も・・・」
 フィーノさんも、残った気力を振り絞って叱咤の言葉を口にする。
「そうだよ、皆、もう少しだから頑張ろう!」
 ユーマちゃんの励ましの笑顔に、皆の表情が一瞬ほころぶ。
「うん。皆、頑張ろう!」
 私は、その言葉に自分自身を奮い立たせ、残った鬼獣達へと挑みかかる。
 その時だった。
『!?』
 戦いの場に響き渡る耳障りな咆哮。
 それは、二匹の魔狼皇が私たちに向けた宣戦布告の雄叫びだった。
「マズイわね・・・。皆、一旦、退いて体勢を整え直すわよ!」
 チェリナ様の言葉に促され、私たちは、残った鬼獣達を薙ぎ払い、魔狼皇達との距離を取る為に走った。
「きゃっ!」
 背後で聞こえた悲鳴に、駆けていた私の足は、一瞬でその動きを止める。
「ユーマちゃん!」
 足がもつれて転んでしまった彼女を案じて、誰かが発した叫び声よりも早く、私は踵を返していた。
「大丈夫!?」
 自分でも驚くような速さでユーマちゃんの許へと駆け寄る私。
「ホリィーちゃん、逃げて!」
 私の背後に迫る存在に気が付き、悲鳴の様に叫ぶユーマちゃん。
 しかし、私は、その求めとは真逆の行動に出る。
 手にしていた得物を握り直して、魔狼皇達へと身構える。
 自分でも、それがどれ程に無謀な事であるかは良く分かっていた。
 それでも私には、彼女を見捨てて逃げる事なんて出来なかった。
 否、正確に言うならば、そんな考えを起こす事すら出来ないである。
「ゴメンね、ユーマちゃん。本当なら、ちゃんと貴女の事を護るべきなのに、今の私じゃこんな形でしかそれが出来ないや。だから、せめてもの償い。先刻の言葉どおり何が在っても貴女だけは護る。だから、私が食い止めている間に逃げて!」
 決して倒れる事を恐れない訳ではない。
 でも、それでも私は、自分自身の決断を笑顔で受け入れる事が出来た。
「駄目、そんな事できないよ!」
 私の背中を見詰めて涙目になっているのであろうユーマちゃん。
 だからこそ、私はその言葉を言い放つ。
「貴女にとって、私が仲間である以上に特別な存在であるのならば、私に構わず逃げなさい、ユーマ!」
 私は、厳しい口調で再び彼女へと逃げるよう促す。
それで彼女がどう決断し行動しようとも、私は、後悔する事無く戦えるはずだ。
「でも・・・」
「大丈夫、私は貴方を残して死なない。だから・・・、そうね、無事にこの窮地を逃れられたら、祝福の口付けをして貰えると嬉しいな。勿論、唇にね」
 私が口にしたその提案に、ユーマちゃんは一瞬だけ驚くと、直ぐに頬を紅く染めながら頷く。
「絶対、約束だからね」
「うん、分かった。約束、必ず生きて守ってね!」
 ユーマちゃんは、きっと懸命に気持ちを抑えているのであろう気丈な声で応えると、私の願いどおりにその場を退く。
「では、女神の口付けの為、いざ尋常に勝負!」
 私は、少しでも確実に時間を稼ぐべく、自分から魔狼皇達へと攻撃を仕掛ける。

始めから勝負になどなら無い事は分かっていた。
それでも、自分にとって唯一絶対である『夢』の為に、戦う事を選んだ。
それは、自分自身で抱いた『夢』に恥じず、それを誇る為。
嗚呼、唯一つ惜しいのは、約束を果たせない事だけである。
「ユーマちゃんとキス、したかったな・・・」
 我ながら俗物な未練だと思いながら、私は、自分に最後を与える凶獣の鋭い爪を見詰めていた。
 
しかし、覚悟したその最後の時は、突如現れた存在によって覆される。
 左右から完全な対称のタイミングで繰り出された魔狼皇達の攻撃。
『彼』は、私と魔狼皇達の間に割って入ると同時に、それを事無げもなく、手にした長剣の一薙ぎで弾き返す。
「大丈夫か?」
 怒りの咆哮と共に再び鋭爪を繰り出そうとする魔狼皇達を無視して、彼は私に無事を尋ねる。
「っ!」
 一瞥の視線すら向けずに、自身に襲い掛かる攻撃を再び薙ぎ払う彼の姿に、私は息を吸うのも忘れる程に驚愕する。
「喋れないほどに弱っているか・・・。困ったな、これはウチの『ネコ』を呼ぶしかないか・・・」
 彼は意味不明の言葉を口にして困惑する。

「うぬぅっ・・・、キミは若しかして女の子?」
彼は、何かを訝る様な表情で、私の顔をまじまじと見詰める。
「これは、失敬! うんうん、そうか。・・・ならば、問題はないな」
 そう一人で納得すると、彼はいきなり私の身体を抱き上げた。
「えっ! ちょ、ちょっと何を!」
「こらこら、暴れないように。振り落とされたくないならば、尚更にだ」
 その気の抜けた口調とは裏腹に、有無を言わせぬ迫力を持つその態度に圧された私が沈黙すると、彼は,一気に背後へと駆け出した。
「えぇっ、やだ! 嘘!」
 決して大柄ではないにせよ人間一人を抱きかかえて走っているとは思えない疾駆に驚き、私は、素っ頓狂な言葉を洩らす。
「はい、到着!」
 彼の軽い口調に正気を取り戻した私の目の前には、ユーマちゃんを始めとする仲間たちの姿が在った。
「状況が状況だけに長話をする訳にはいかないが、キミ達はこの状況を如何したい?」
「如何したいって言われても・・・」
 半ば呆けている私に代わって、チェリナ様が彼の問い掛けの意味を尋ね返す。
「済まない。訊き方が悪かった。あそこにいる二匹の扱いについて、倒したいのか、倒したくないのか。或いは、俺が倒した方が良いのかだ。流石に二匹両方を放っておくと他の冒険者が犠牲になる可能性があるからな」
 彼は、その言葉と共に、魔狼皇達を軽く一瞥して苦笑を浮かべる。
「情けないけど、流石にアレを二匹相手にするのは厳しいわね」
 やや精彩を欠いたメリィア様の言葉は、素直な悔しさから来るモノだと分かった。
「そうか・・・。ならば、一匹ならいけるという事で良いかな?」
 彼は、受けた言葉の意味を態とそう解釈して、再び尋ねる。
「ええ、それなら、いけます」
「了解。では、そういう事で、俺が一匹貰うとしよう。これは、その代価の前払いだ」
 彼は、チェリナ様の言葉に穏やかな笑みで応えると、懐から取り出した小瓶の中身を私たちに振りかけた。
「ちょっと、何を・・・っ!」
 シルクさんの抗議の言葉は、直ぐに飲み込まれる。
 それが自分たちの体力と魔力を回復させる為の行為だと分かったからだった。
「・・・ありがとう。凄く、助かる・・・」
「否、何。使っても俺には効果が無い持ち腐れの道具だから、気にする必要は無い。まあ、感謝の言葉だけは、受け取っておくがね」
 その魔法薬の価値を考えれば、彼が口にした言葉が半分は嘘である事は確かである。
「ありがとうございます」
 私は、助けて貰った分も含め、改めて感謝の言葉を告げた。
「いやはや、良いねぇ。無垢というか、純真というか。ホント、キミ達は可愛いね。只で物くれる人間なんて、下心ありのナンパ師だとか疑っても良いモノを」
「えっ、まさか・・・。変態のナンパ屋さんなのですかぁ?」
 汚物を見るが如く顔をしかめるユーマちゃんに、彼は、愉快そうに微笑み返す。
「アハハっ。変態は兎も角、ナンパ屋というのはよしてくれ。これでもれっきとした運命の相手が在る身でね。下手な誤解が生じると生命すら危うい目に遭うからな」
「あの、否定するところを間違っていませんかぁ?」
突っ込んでよいのかを探るように恐る恐る指摘するアンナちゃんに、彼は、それで間違っていないといわんばかりに再び笑った。
「じゃ、まあ、そんな所で、早速に遣るとするかな」
 彼は、再び懐に手を遣り、そこから腕輪と思わしき装備品を取り出し身に着けた。
「連携さえ保てれば、そう危険な相手では無いが、油断だけはしない様に。後、俺が苦戦しているように見えても構わずにいてくれて結構だから」
 彼は、それだけを告げると、私たちの返事を待つ事なく、戦場へと舞い戻っていく。
「私たちも行きましょう」
 チェリナ様に促され、私たちは、彼が相手にするのとは別のもう一匹へと戦いを仕掛ける。

2008年5月5日月曜日

『 L・O・D ~ある冒険者の追憶~ 』 下編

                                                           

「済まなかったな、セイウ。あれも悪意があって、あんな事を言った訳じゃないんだ。それだけは、分かってやってくれ」
 雷聖は、雪華が去っていった方向に視線を遣りながら、そう俺へと詫びた。
「分かっています。寧ろ謝るべきは俺の方である事も」
「まあ、実際それに関しては、難しい問題であるんだがな」
 『謝る必要』と『謝る意味』という二つを指して、雷聖は、その言葉を口にしていた。
「雪華が君に対しぶつけたのは自分の感情に過ぎないし、君が詫びた所で彼女は決して許しはしないだろう。結局、謝る必要も無ければ、謝る意味もない事だからな」
「貴方は、それで良いのですか?」
・・・雪華が抱いた様な俺に対する『怒り』や『失望』は無いのか。
 そんな心の想いを込めて、俺はその事を彼へと尋ねた。
「全く気にしていないと言えば嘘になる。しかし、雪華がした事は大人気ない我が儘(わがまま)だし、君がした事は子供の贅沢だ。それを一々気に掛けていては、この世界で生きてはいけないからな」
「そうですか・・・」
・・・歯牙に掛ける意味すら無いという事ですか。
「それは君を見下しているからという訳ではない。だから、勘違いだけはしないでくれよ。そもそも、あれが君に噛み付いたのは、俺の為だしな。それを考えれば、俺に誰かを責める事は出来ないという事だ」
「貴方は、確かに大人ですね」
 俺にも、それが何よりも自分の幼さを示す言葉である事は分かっていた。
 それでも、彼に対する皮肉の言葉を口にせずには、いられなかった。
「うむぅ、本当にそうかは怪しい所だがな」
雷聖は、そう俺の皮肉を事無げに笑って受け入れると、一瞬にして、その瞳に宿すモノを真剣な色に変え、再び口を開いた。
「人間は誰でも最初は子供として生まれるモノ。それは、俺も君も然りだ。それと同じで、誰しも最初から強い訳ではない。俺が君の事を『子供』だと言ったのは、君がこの世界で冒険者となってから過ごした時間の短さを指してだよ。俺は、この世界にあって悠久ともいえる時間を過ごし、その中で今持つ力を培ってきた身だ。君が、俺と同じだけの時をこの世界で過ごしたならば、今の俺を遥かに追い越す強さを培う可能性だって在るさ」
 雷聖の口から語られたその言葉から、彼が心に抱く『強さ』への真摯な想いが滲み出ていた。
 俺は、彼が自らの心に持ち続ける強さの意味を見失わないからこそ、如何なる戦いに於いても誇りと自信を持ち続けられるのだと、その強さの理由を理解する。
「今の自分の強さに己惚れて、自分が非力であった過去を忘れてしまう事も在るだろう。しかし、それは他者を弱いと嘲る事の言い訳にはならない。そうだろう?」
 始め、俺はその言葉の意味を理解できなかった。
「真に《王》と呼ばれる者は、その誇りを以って他者を護り導く者となる存在だ。だが、彼らはそれを知らず、戦場に他者の誇りを打ち砕く事を誉れだと偽り、争いの火種をばら撒く事を求め続けている。セイウ、お前の心に今も尚、彼らの傲慢によって踏み躙られた誇りの痛みが在り続けているのならば、その痛みを糧に必ずあの偽りの《王》達を栄光という玉座から引き摺り下ろせ。それこそが、唯一、雪華が示した優しさにお前が報いられる術だからな」
 それは、俺があの日あの時あの戦場で受けた屈辱を見透かす言葉、そして、自らの剣に誇りを持つが故に何よりも他者の誇りを重んじる《剣皇》たる者の意志を示す言葉であった。
「貴方は、俺にそれが出来ると信じているのですか?」
 自らの心にある想いを見透かした雷聖という存在に、俺は、畏怖にも似た想いを込めて尋ねる。
「お前以外にそれは出来ないだろう」
・・・何故?
 雷聖は、俺が心に抱いたその問い掛けの想いを、再び見透かした。
「俺がお前を信じる理由か・・・。言っただろう、お前は真なる王者の資質を持つ存在だと。偽り持つ存在は、何時か必ず真を持つ存在に敗れるモノだ。今《王》と呼ばれている者達の力は、他者を屈し支配する為だけの力に過ぎない。だが、お前が剣に宿す力には、その支配すら討ち破る意志が在る。確かに今のお前は彼らと比べれば遥かに非力だ。しかし、それは未だ未熟であるが故の非力に過ぎない。揺るぎ無き意志を以って自らの技を磨き上げ、その未熟を克服したならば、お前は必ず彼の《王》達を討ち破る者となるだろう」
 語られるその言葉の一つ一つから、彼が俺に向けた深い想いが伝わってきた。
「セイウ、事の序でだ。一つ、お前の知らないある冒険者の昔話をしてやろう」
 雷聖は、俺にそう告げると、何かを懐かしむ様に空を見上げて語り始めた。

「あれはまだ、この『神蒼界』に《邪神》という存在がいて、その力によって世界中に魔物達が跋扈(ばっこ)していた時代の話だ。そんな世界に生まれ、蔓延る魔物達と戦う為に、冒険者となる事を選んだ二人の男女がいた。だが、男には生まれながらにして魂の欠落があり、魔力という異能の力に対する耐性が存在しなかった。それでも冒険者となる事を諦められなかった男の為に、女は彼を支える術を求めて異能の力である《魔術》にその身を委ねた。危険を冒す旅を重ねる中で、男は戦士としての力を培い少しずつだが強くなっていった。だが、男がどれ程に強くなろうとも、神の祝福を与えられなかったその身の《制約》は、彼の冒険の障りとなり続けていた。戦士としての力を高めて尚、敵の下級魔導にすら敵わず、その力の前に無様な姿を晒す男を見て、他の冒険者の中にはそれを嘲笑う者もいた。そんな事実を男以上に悔しがったのが、彼を支え続ける女だった。彼女は、唯男が抱く不屈の意思のみを信じ、彼の無謀に近い冒険の旅に従い続けた。だが、彼女は唯彼の背に付き従うだけの存在ではなかった。
彼女は、如何なる危険な戦いの状況に在ろうとも、自らの無事より男の無事を先に考え、その身の危険を顧みず彼の生命を護る為だけに魔法を使い続けた。男は、傷付き倒れる彼女の姿を背中に感じる度に、己の非力さを憾(うら)み続けた。それでも尚、否、それだからこそ男は自らに力を求め、堅き衣持つ敵ならばそれを貫く鋭さを、素早い動きを誇る敵ならばそれに勝る速さを自らの剣に宿した。そして、男はその想いを以って全ての敵を穿つ刃の冴えを誇る《剣皇》へと至り、《魔司》へと至った彼女と共に、《邪神》と呼ばれる存在をその手で討ち滅ぼす栄光を果たす一人となった。自らの剣を以って『神蒼界』に平穏を取り戻した歓びに浮かれ、男は、パートナーである彼女と共に、《邪神》の脅威から解き放たれた世界を巡る旅に出た。しかし、その旅を終え遠き海の先にある辺境の大地から戻った彼らが目の当たりにしたのは、嘗ての仲間である冒険者達によって平穏を奪われた世界に有り様だった。その絶望に男は自分が護ろうとした世界の全てを深く呪った。そんな男の心を救ったのが、彼のパートナーである彼女の互いの絆を誓った言葉だった。自分が護るべき者が誰であるかを思い出した男は、その存在と共に冒険者として生きる道を選び、世界の表舞台から自らの姿を消した」
 『以上で終わりだ』という言葉で締めて、雷聖は、『ある冒険者の昔話』を語り終える。
 その冒険者が誰であるかは尋ねるまでもなかった。
 それは、雷聖が《剣皇》であり、雪華が《魔司》である理由を示す物語であった。
・・・だから、俺は雪華に打たれたのか。
 俺の頬に、彼女から与えられた痛みが熱となって甦る。
 思わず頬へ掌を添えていた俺に何かを察したのか、雷聖が微かな笑みを浮かべた。
「なあ、サフィア。お前は、セイウの事が好きか?」
 不意に雷聖が俺のナビであるサフィアへと、そんな問い掛けを向けた。
 その質問の意図に戸惑う俺を一瞬だけ見詰め、サフィアはその視線を雷聖に投げる。
『はい。私は、愚直なまでに真直ぐな意志を抱くマスターを敬愛しています』
「そうか。良かったな、セイウ。お前はまだ彼女に見捨てられて無い所か、その愚直さに敬愛まで抱かれているみたいだぞ。」
 何がそこまで愉快なのか、雷聖は必死で笑いを堪えながら、そう俺へと言葉を掛けた。
「しかし、そこまで想われているなんて羨ましい限りだ。セイウ、この世界に於いて、人間は独りで強くなれる存在ではない。だから、お前の事を誰よりも信頼し支えてくれているサフィアの事を大切にしろ」
「それならば、貴方も、雪華さんをもう少し大切にしてあげてください」
 俺にそう言い返されて、雷聖は、一本取られたという表情を浮かべた。
「うーむぅ、それはちょっと違うぞ、セイウ。俺と雪華との関係は、近くに居過ぎれば見失ってしまう稀有な絆で結ばれたモノ。多少、離れた位置に身を置くのが良い関係だ。というか、そういう意見が在るとあれが調子に乗るので止めてくれ」
 渋面を作って抗議する雷聖の姿に、俺は苦笑を浮かべる。
「でも、貴方は彼女の事を大切に想っているのでしょう。だったら、せめて憎まれ口を止めて、優しい言葉を掛けてあげれば良いではありませんか」
・・・俺がサフィアに想われる事が羨ましいと言われるのならば、雪華にあそこまで想われる彼に、俺は何と言えば良いのだろうか。
 その言葉を知らない俺は、代わりに彼の素行を窘(たしな)める言葉を口にした。
「確かにお前のいう事にも一理ある。しかし、それじゃ、悔しいじゃないか」
「『悔しい』・・・ですか?」
 俺は、雷聖が何を言っているのか理解できずに問い返した。
「ああ、そうだ。この世界で《神殺し》の偉業すら果たした俺が、たった一人の存在の感情を畏れなければならないなんて、悔しいというか情けないじゃないか」
・・・ご馳走様です。
 俺は、色々な意味で見誤っていた目の前の存在が、そのパートナーに対し捧げる愛情の機微を理解してそう突っ込む。
・・・それにしても、これじゃ一体、どっちが『子供』で『大人気ない』のか分からないデス。
「セイウ、真の漢(おとこ)とは、幾つになっても少年の心を忘れないモノさ!」
・・・そんな、妙に爽やかな笑顔で言われても、対応に困りますデス。ハイ。
「はいはい、了解! 了解! ここは潔く、お前の言葉に従っておこう。という訳で、セイウ、サフィア、良き武運を!」
 独りで何かを納得した雷聖は、俺達に挨拶の言葉を告げて去ろうとする。
 それを見た俺は、慌てて声を掛けた。
「雷聖さん!」
「うぬぅっ?」
 立ち止まり振り返った彼に対し、俺は、大きく息を吸い込んで叫ぶ。
「何時か必ず俺は、《光》と《闇》の《王》を! 彼ら二人を討ち破って見せます! そして、貴方の強さにも追いついて見せます! だから、本当にありがとうございました!」
 高く高く空までも届かんばかりに響く俺の宣言を受けて、雷聖は、満面の笑みと共に叫び返した。
「セイウ、そんな寂しい事を言うな! こういう時は、『何時か貴方を追い越して見せるから覚悟しておけ!』とでも言って見せろ!」
その傲慢なまでの大志を俺に求め許容する雷聖の瞳には、強い意志の光が宿っていた。
・・・参った。俺は、本当にとんでもない相手と好敵手になる事を望んでしまったみたいだ。
「はいっ! 二つの《王》の首を手土産に、貴方の《栄光の冠》を剥ぎ取りに行くので覚悟しておいてください!」
「おぅッ! その時を楽しみしているぞ! サフィア、そこの愛すべき大莫迦者が真の皇へと至る軌跡を、《神の御子》として見守り支えて遣れ!」
 俺が示した剣の宣誓に剣の宣誓で応えた雷聖は、俺の背に従うサフィアを彼女という存在に似つかわしいその異名で呼び指してそう命を与える。
 その言葉を受けたサフィアは、穏やかな笑みを浮かべ恭しく下げた頭(こうべ)でそれを受命した。
 その時、雷聖とサフィアが交わしたモノの意味を、俺は、『約束した再会』の後に知る事となる。
「では、セイウ、サフィア、達者でな!」
「雷聖、御武運を!」
 俺は、去り行く雷聖の背に、儀礼以上の想いを込めて別れの挨拶を投げ掛けた。
 それに対し再び立ち止まった雷聖は、背を向けたままで手を上げて応えると、今度こそ本当に去っていった。
雷聖が去った後も、俺は暫くの間、その場で見えなくなった彼の背中を見送り続けた。

「空が蒼いな」
 俺は、天を仰いでは何度も繰り返してきたその言葉を、それまでとは全く違う想いを胸に抱いて呟いた。
・・・今この瞳に映る空の蒼さを、俺は、これから先もずっと忘れずにいられるだろうか?
 だが俺のその想いは杞憂に過ぎなかった。
 なぜならば、その空の蒼と同じ美しい色を瞳に宿した存在が、俺の傍らに在り続けるのだから。

「サフィア、この先、何が在ろうとも、俺より先に倒れるな。お前は、倒れても尚立ち上がる俺の姿を、その瞳に焼き付けておいてくれれば良い」
 雪華が雷聖の為に求めたモノが自己犠牲も厭わぬ献身あるならば、俺がサフィアの為に求めるモノは、その美しい空の蒼を宿す瞳を曇らせない己の強さである。
 その強さを得る為の道程は遠く険しいだろう。
 そこに至るまでには、幾度この大切な存在を悲しませるか分からない。
 だが復讐の為だけに戦いを望み、力を求めたあの時とは違う。
 『戦う理由』と『力の意味』、それ思い出し教えられた今ならば、俺にも分かる。
 雪華が本気の想いをぶつけて、俺に教えようとしたモノが何であるのかが。
「さて、行こうか、サフィア。俺は、もっともっと強くならなければならないからな」
・・・そう、それは俺に冒険者としての誇りを教え示してくれた二人の存在と、何よりも目の前にいる大切な存在の小見に報いる為に。
『はい、マスター。貴方が求める皇の力を探す旅に出発です!』
・・・『皇の力』か。サフィア、それならもう既に見付けているよ。否、最初から直ぐ傍(そば)に在ったのに、俺がそれに気が付いていなかっただけだ。
「良し、先ずはこの世界の全てを知る為の冒険だ!」
俺は、言い放ってサフィアの身体をひょいっと抱き上げると、そのまま肩車して走り出した。
『真に《皇》と呼ばれる者は、その誇りを以って他者を護り導く存在』、雷聖が語ったその言葉が示す様に、今俺が頭上に頂く存在こそが《皇》を王者とたらしめる気高き誇りの導き手である。
ナビ・パートナー、その名の示す意味は、『共に在りて導く者』。
そして、その導く先にあるモノは、『無限の可能性』である。
自らの身に欠いた力への想いを意志に変え《皇》へと至りし者、《雷斬りの雷聖》。
彼のパートナーとして彼を《皇》と至らしめた者、《純白の魔女神・雪華》。
その二人の姿こそが、冒険者とナビが築くべき関係の道標であった。


 雷聖と雪華、この二人との邂逅が俺に《皇》としての力の在り処を教えてくれた。
 しかし、俺にとって真に『運命』と呼ぶに相応しい邂逅は、サフィアという存在と出逢ったそれを指し示すのだろう。
 その『運命』が俺の宿命に通じる道標であるならば、俺は、その先に在るモノを決して見失わない。
 サフィアが指し示してくれるモノを見失える筈が無い。

 俺は、サフィアという存在に導かれ、何時か《皇》と呼ばれる存在に至るだろう。

それが俺の宿命なのだから。

『 L・O・D ~ある冒険者の追憶~ 』 中編

                                                            

嘗てこの世界は,創造の主たる《神》に見捨てられ、《邪神》と呼ばれる邪悪なる意志持つ存在によって滅ばされる運命にあった。
その運命に抗い《邪神》の僕である魔物達と戦い続けた存在、それが『冒険者』達であった。
生命の危険すら冒す幾多の旅を経て、終に《邪神》を倒し世界を救った《神殺し》の英雄達。
その偉業の達成者にして、《栄光の冠(ロイヤル・クラウン)》を頂く存在の一人が、《雷斬り》の異名を冠する目の前の剣士であり、彼の冒険の日々を支えたのが《純白の魔女神》の異名で呼ばれる彼女であった。

「『あの有名な』、か・・・。正直な所、そういう云われ方は好きじゃないな」
 剣士、雷聖は口にした言葉に違わぬ、重い面持ちの苦笑を浮かべた。
示されたその反応に戸惑う俺を見かねる様に、雪華が彼を嗜める。
「止めなさいよ。彼は純粋にそう言っただけでしょう」
「ああ、そうだな。済まなかった、俺にとって過去の栄光なんて忘れたい事の一つなんで、少し過敏に振る舞い過ぎたようだ」
 雷聖が謝辞の中に込めた感情に、それが容易く触れてはならない事であったのだと知る。
「それで少年、君は、名を何というんだ?」
 指摘されて俺は、今更ながら、自分が彼らに対し名乗っていなかった事に気がついた。
「済みません、名乗り忘れていました」
「否、まあ、それはお互い様だし気にしなくて良い」
 雷聖の言葉に、雪華も又、苦笑に近い微笑を浮かべて二度三度と頷いた。
「俺は、セイウ。『清らかな翼』という意味の名前です」
「ほぉう、それは君に似つかわしい良い名だ」
 雷聖が口にした感想の真意までは分からなかったが、そこに込められた誠意を感じ取り、俺は、『ありがとうございます』とだけ返す。
「互いに名を知った所でセイウ、俺の剣は、君が求める力を得る為の道標とはなれたかな」
 その問い掛けに、俺は、彼に連れられてこの場で戦った理由を思い出した。
「・・・正直な事を言うと、『日暮れて道遠し』です」
 俺は、求める力を得る為の手段に惑い焦るばかりという素直な想いで雷聖に応えた。
 そして、その想いを持て余すように、俺は視線を空へと移す。
「世界の在り様が如何移り変わろうとも、この空の青さだけは変わらないな」
 深い感慨を込めて、雷聖が俺の視線の先に在る空を仰いだ。
「彼らは、貴方より強いのですか?」
 それが彼に対し失礼な質問である事は良く分かっていた。
 しかし、俺の心は、二人の《王》と呼ばれる存在を知る者に、その答えを求めずにはいられなかった。
「否、嘗ての彼らならば分からないが、今の彼らは俺には及ばないだろう。外道に堕ちたあの二人の力に劣る俺ではないよ」
 共に《神殺し》の栄光を果した者としての感情はそこに存在せず、在るのは、純粋なまでの憤りであった。
「では、貴方ならば、《秩序の光》と《力威の闇》の争いを収める事ができるのですね」
 《王》と呼ばれる存在達に率いられ相争う二つの勢力。
 その意志を統べる存在である《王》を戦場で討ち破る事のみが、繰り広げられる争乱を鎮める唯一の術にして、最高の誉れとなるという事実。
 冒険者達は、その誉れを求めて己の力を磨き高め続ける。
 それが俺の知る世界の有り様であった。
 しかし、今この時、目の前に在る存在達と出会った事で、俺は、自らの無知を知らしめられる。
 望めばその誉れを果たせる実力の持ち主達を前にして、俺は羨望の眼差しを抱いていた。
「否、それは難しいな」
・・・何故?
 予想していたのとは違う応えに、俺は無言で疑問の視線を返す。
「彼らは、賢明過ぎる程に賢明だ。仮令(たとい)、俺が彼らに戦いを挑んだとしても、それを受けて立ちはしないだろう。それに、俺も彼らを討つ事に特別な意味を見い出せないからな」
 雷聖の口から語られた二人の《王》に対する事実は俺自身も良く理解していることであった。
 しかし、それよりも尚、俺が気に掛かったのは、最後に語られた言葉のほうであった。
「貴方は、今の世界の有り様を見過ごせるのですか?」
「ああ、俺にとって世界の有り様が如何であろうとも、人々がそこに何を望もうとも構うことでは無いさ。寧ろ、この手で《邪神》を倒したという事実すら、忘れ去りたいと思っている」
 それは、世界を救った存在が、その世界に対し向けた呪いの言葉であった。
・・・『全ての人間が望んで力を得たとは限らない』
 俺の脳裏に、雪華と交わした言葉の一つが甦る。
 『力持つ者の悲哀』、それは持たざる俺には到底知る事の出来ない想いであった。
 そして、雷聖が持ち、雪華が知るそれは、悲哀よりも尚
深く暗いところにある絶望と呼ばれるモノであった。
「雷聖、それならば何故、貴方は俺に力を示した」
 それは、雷聖に取ってみれば無意味に過ぎる振る舞いであった。
「それは、君が自らの非力を知り、そして、真なる王者の資質を持つ存在だからかな」
 俺は、雷聖が語る言葉の意味が分からず、再び沈黙の視線を返す。
「君は、力を求める理由を尋ねた俺に対し、唯雪辱のみを果たしたいと答え、その言葉が偽りでは無い証を、自らの力に優る敵を相手に挑む事で示した。だから、俺は、君の想いを信じ自らの果たすべき処を果たしただけだ」
 雷聖はそこまで語ると一旦言葉を切り、大きく息を吸い込み、それをゆっくりと吐き出してから、再び口を開いた。
「セイウ、もう一度尋ねる。君は本気で、彼の二人の《王》を討ち破りたいと望むか?」
「はい」
 俺は、雷聖が示す深い想いが込められた問い掛けに対し、強く頷き応えた。
「その意志、確かに受け取った。では、自ら最も困難な道を進む事を求めるお前の為に、餞別として《王》の許へと至る道標を示そう」
 雷聖は、その言葉と共に不敵な笑みを浮かべる。
「セイウ、剣士が剣士に語る最高にして唯一の術は、自らの剣を以ってのみ果たされる。だから、パートナーと共に、本気で俺を倒すべく斬り掛かってこい。雪華、先刻の続きだ。お前も遠慮なく俺に仕置きしてみせろ」
俺達三者へと宣戦布告する雷聖。
得物である長剣を手にした彼から伝わってくる闘志の存在が、その言葉が本気である事を物語っていた。

「如何した、遣る前から怖気ついたか?」
 雷聖は、不遜の眼差しを浮かべて、俺達に対する挑発の言葉を口にした。
「ならば、こちらから行くとしようか!」
 そう言い放つが早いか、雷聖は、瞬時の踏み込みで俺との間合いを詰め、横薙ぎに得物を振る。
 俺は、彼の電光石火の一撃を回避不能と判断すると、自らの得物である剣でそれを受け止めた。
 互いにぶつかり合う刃と刃の衝撃に耐えるべく、俺が得物を握る両腕に力を込めた瞬間、雷聖は、踏み込んだ身体の勢いに任せて長剣を振り抜く。
「はっ!」
圧し返されて宙を泳ぐ俺の懐を目掛け、短い気合いの息と共に、雷聖の再びの斬撃が繰り出された。
・・・遣られる!
『《天地斬り裂く旋風の刃》!』
 雷聖の刃が俺の身体を捉えるのを先制して、雪華が生み出した疾風の魔力刃が地走りの土煙を上げて、雷聖へと襲い掛かる。
 それを見て取った雷聖は、一瞬にして攻撃から防御の体勢に転じ、素早い身のこなしで回避した。
「甘いな、雪華。本気を出せ」
 背後へと退き間合いを取り直した雷聖は、余裕混じりに挑発の言葉を口にする。
 それに対し、無言で睨み返す雪華。
 しかし、俺には、彼女が相手を倒す為ではなく、俺を助ける為に攻撃を放ったのだと分かっていた。
 無論、それは雷聖も又、良く分かっている事の筈であった。
・・・態々、過剰な挑発で彼女を刺激しているのか。
 雷聖が示す態度は、明らかにその意図によるモノであった。
「雪華、若しも俺を倒せたら、どんな願いでも訊いてやるぞ」
・・・アレっ? 今、言葉の中に何か妙な含みが無かったか?
「要らない! どうせ又、何時もの『嘘』だから」
・・・信用無いですね。
 もう騙されないといきり立つ雪華の姿は、敵へと牙を剥くネコの様だった。
「確かに、そうだ。俺が敗れる理由も無いし、無用の約束に過ぎないな」
・・・その自信、一体何処から来るのですか?
 背中で闘志を燃やす雪華の様子を感じ取った俺は、その頼もしさに勇気を奮い起こされて、それまでの緊張に硬くなった肩の力を緩めていた。
 俺は、得物である剣を構え直して体勢を整えると、冷静に状況を分析する。
 その戦闘能力を考えれば、雷聖と雪華が持つ力は、伯仲か或いは、魔導師として純粋な攻撃の威力で優る雪華の方が有利。
 しかも、こちらは三人で連携をとって戦える状況に在った。
 その事が分からぬ相手では無いからこそ、俺は、雷聖が抱く自信を不気味に感じていた。
「言ってくれるわね。良いわ、お望み通り私の本気を見せてあげる。地べたに転がりながら、今までの私に対する悪行の数々をよーく反省しなさい!」
・・・私情の怨恨が入りまくりですか。
 挑発に挑発で応える雪華。
その足元で宣言通りに、通常範囲を超える勢いで次々に魔導陣が展開する。
術者である雪華を中心に置き、五連に交わり重なり合う様に形成されたそれは、まるで大地に咲く華の如く美しかった。
『《識彩光綾聖爛御滅烈華陣》!』
 祈るように瞳を閉じて《力導く言葉》を紡ぐ雪華。
 再びその瞳が開かれると同時に、魔の領域から導かれた力が爆発する。
 《無限を奏でる御言葉》、真に《魔導》を極めた者のみに許された《魔導皇》の遺産たる御技。
 そして、彼女が示したその力は、『神の領域』と呼ばれる位置に在る究極の《魔導》の一つであった。
 雪華によって放たれた魔導は、瀑布の如き勢いを持つ魔力の奔流となって雷聖を呑み込む。
・・・勝負あった。否、勝負にならなかった。
 俺は、目の前に生じた壮絶な力の熱に当てられながら、勝利を確信していた。

『《軍神烈覇斬・改》!』
 雷聖が放った《力持つ真名》が、その身を呑み込んだ魔力の波を切り裂く。
『《凡そ全てを滅ぼす散華》!』
 再び放たれる雷聖の《力持つ真名》。
 気合いと共に繰り出される連斬の一撃が振るわれる毎に、その刃は淡い燐光の花びらを虚空に残して、魔力を切り裂き打ち消していった。
・・・っ!
 驚愕に瞳を見開きながら、俺の頭は、そこに映る現実を理解することすら出来なかった。
「セイウ、今よ!」
『マスター、今です!』
 俺の背後にいた雪華とサフィアが、同時に叫ぶ。
 その声に正気を取り戻した俺は、両者が既に発動させていた戦闘補助魔法の助けを受け、雷聖へと攻撃を仕掛けた。
・・・貰った!
 雪華の攻撃を相殺し凌ぐのに、全ての力を使い果たした雷聖。
その隙だらけの懐を狙った渾身にして絶妙の一撃に、俺は、快心の喝采を抱く。
 それは、『約束された勝利』へと至る筈であった。
 しかし、俺の攻撃を前にした雷聖の表情に焦りは無く、未だその自信に満ちた余裕を失ってはいなかた。

 その時、何が起きたのかは分からなかった。
 それでも確かな事が一つだけあった。
 雷聖は、俺が振り放つ攻撃を唯一瞥しただけで封じ込めたのである。
 それを言葉で現すのならば、正に『蛇に睨まれた蛙』という一言が正鵠(せいこく)を射ていた。
「・・・くっ!」
 訳も分からず振り下ろした剣の刃で、雷聖が立つ足元の大地を穿った俺は、その衝撃に痺れる手の痛みだけを感じていた。
「勝負、ありだな」
 半ば呆然として眼前の大地を睨んでいた俺の背中に、雷聖が振るった刃の先が触れる。
・・・完敗です。
 俺は、悔しさにその言葉を声にする事が出来なかった。
 そんな俺の想いを汲み取ったのか、雷聖は無言のままで刃を返し、それを背中に負った鞘に納める。
 そして、何故か苦笑混じりに笑う雷聖。
「少し調子に乗り過ぎたみたいだ」
 快闊な笑顔を浮かべ直した雷聖は、その言葉と共に視線を雪華へと投げ掛けた。
「皆、頑張ったけれど負けちゃったね」
 雪華は、俺とサフィアの頭を其々に撫でながら、慰めの言葉を口にする。
 触れたその掌の温もりがとても柔らかかった。
「はい。負けました。それも見事なまでの完敗でした」
 俺は、先刻は悔しさで口に出せなかった言葉で、彼女の優しさに応える。
「全ては実力の差がもたらした結果、仕方ないなんて慰めは言わない。だが、その代わりに言わせて貰おう。良い勝負だった」
・・・ああ、そこまで莫迦正直に言われたら、返す負け惜しみの言葉すら見付かりません。
「『井の中の蛙大海を知らず』ですか・・・」
 俺は、自らの未熟さに苦笑した。
「だが、その中にあるからこそ、天の高さと其処にある空の青さに気が付くのだろう」
 その言葉に込められた深い想いに、俺は、目の前に立つ存在を見誤っていた事を知る。
「こういう言い方は余り好きではないのだが、自分の弱さを知った今ならば、自分の目指すべき強さが如何なるモノか分かるんじゃないかな」
「それが、貴方が俺に対し示そうとした『道標』なのですね」
 俺は、彼がその身に宿した力を以って、俺に伝えようとしたモノが何であるかを理解した。
「まあ、俺の言葉で言うならば、『真実に培われた想いは意志となり、強さに培われた意志は全てを凌駕する』だな。俺が知る限り、この世界に望んで得られない強さなど存在しない。だから、自らを知者とする事は求めるな、自分を知り尽くしてしまえば、そこに在る限界という常識に自らが持つ可能性すらも封じられてしまうからな」
・・・『可能性』か。
 俺は、その言葉こそが、雷聖という存在を示す『意志』の形である事を知る。
「俺が先刻の勝負で君に対し示した二つの戦技。あれこそが、この世界に存在する《理(ことわり)》という名の常識を打ち破る可能性の力だ。《魔司》が操る魔法の威力すら打ち消す《相殺》と戦士の技を無効化する《封殺》。その種を明かす事は出来ないが、二つの技を以ってすれば《光》と《闇》を統べる二人の《王》に、戦場で敗れる事だけは無い」
 戦士としての力を極めた者のみが至れる最高位の一つである《騎士皇(マスター・ナイト)》と、その対極たる魔導師の頂点にある《魔司》。
 その二つの最高位へと最初に至った存在こそが、《秩序の光》と《力威の闇》を統べる二人の《王》であった。
 雷聖が語る言葉は、確かな事実だったが、俺は、そこに妙な含みが在った事に気が付く。
「『戦場で敗れる事だけは無い』、ですか?」
「おお、ちゃんと気が付いたか! その言葉の通り、《相殺》と《封殺》の何れも、敵に敗れないだけの技で、敵を討ち破る技では無い。だから、君は、あの二人が培った力を凌駕する必殺の威力を持つ《戦技》を開眼しなくてはならないな」
 我が意を得たと満足気に語る雷聖の言葉が、俺の耳には何処か遠くに聞こえた。
・・・二人の《王》に敗れない為の技ではなく、二人の《王》を討ち破る為の技を求めなくてはならない。そういう事か。
 目指すモノの指針は見えながら、そこに至る為の手段を俺は持っていなかった。
「雷聖、貴方にとっての『それ』が、先刻の戦いでトロルの首領相手に使ったあの技なんですか?」
 触れる者の全てを灰燼に帰する神の雷。
 思い出すだけでその威力に身震いする壮絶なる戦いの御技。
 俺は、《峻烈なる神雷》と名付けられた彼の戦技を思い出し、それを尋ねる。
「否、あれは嘗て《邪神》を討ち滅ぼす為に編み出した技だ。俺にとっての最終奥義は、この世界で最も手強い存在との決着の為に編み出した技だ」
「貴方にそんな事を言わせる存在が、この世界にいるのですか!?」
 雷聖の口から語られた言葉に驚きの声を上げた俺は、直ぐにその存在の正体に関する予感を抱く。
・・・あれっ、まさか!
「何を言っているんだ、セイウ。今、お前の目の前にいるじゃないか」
・・・『予感』、的中ですか!
 雷聖が向ける視線を追うまでもなく、その正体が雪華である事は分かっていた。
「ふぅふぅーっ、それはおもぢろい冗談ね」
・・・雪華さん、その満面の笑顔と、何よりも噛んだ下唇に発音が濁った台詞の意味が怖いのです。それを漢字に変換すると『重血露意(〔重い血が露わとなる意味合いを持った〕の意)』ですか? それとも『主散露生(〔お主の生命が露と散る〕の意)』ですか?
 俺は、そんな戯言で済んで欲しい恐怖の問い掛けを、無意識に頭の中で廻らしていた。
「そうだな、言い方が悪かった。雪華、お前はこの世界で唯一人、俺を畏れさせる事ができる存在だ」
・・・あの、それ全然言い直す意味が無いのでは?
「雷聖、泣かすわよ!」
「それじゃ、お前のつるっぺたな胸を借りて泣くとしよう」
・・・火に油を注ぎますか。
「雷聖・・・、っ?」
 一瞬、微妙に照れた笑みを浮かべながら緩い眼差しを雷聖へと向けた雪華は、言葉に含まれたトゲに気づいて違和を洩らす。
「つるっぺたって言うなぁーっ!」
・・・あの、話が逸れてますよ。
 俺の心のツッコミが通じたのか、雷聖は、雪華の抗議を黙殺して、話を本筋に戻す。
・・・『私はちゃんとツーピースはあるもん』とブツブツ呟き、胸に手を当てうずくまっている存在に関しては取り合えず黙殺。
「俺と君とでは戦いに於ける様式も違えば、それによって培われる素養も違っている。重要なのは、自らの技によって敵を討つ術を求める事だ」
 その指摘を受けて、俺は、自分が相手の優しさに甘えていた事を知る。
 そして、それと同時に俺は、目の前にいる剣士が身に着ける装備の異相に気が付いた。
 丈夫な重ねを施された厚織りの黒衣を羽織り、腕と足のみを具足で護るその出で立ちは、他に身に着けた腕輪を中心とする装身具と相余ってエキセントリックな印象さえ抱かせる。
「雷聖さん、貴方の職位(ジョブ・クラス)は何ですか?」
 その実力から考えれば、彼が戦士系統に属する高位の存在で在る事は間違いなかった。
 雷聖は、俺の脈略に乏しい質問を一瞬だけ訝った後、事和げに笑って応える。
「《剣皇(マスター・ファイター)》だが、それが如何かしたか?」
「えぇっ!」
 俺は、彼が口にした応えに意外なモノを感じて、驚きに声を洩らした。
 《剣皇》、それは戦士に属する存在の中でも、自らの剣を磨き上げた者のみが至る事が出来る至高の職位にして、唯一全ての《戦技》を極める道を持つ者。
 しかしながら、その身体的戦闘能力は同列の《騎士皇》や《聖騎士(パラディン)》に劣り、騎士の力と魔導師の力を併せ持つ《神聖騎士》の万能性に及ばないと言われる職位であった。
 冒険者の中には、《剣皇》という職位に対し、『独りでは何も出来ない存在』という侮蔑を抱いている者すらいた。
 それ故に、進み至る者が少ない事を理由に『稀有の珍獣』とまで呼ばれていた。
「本当に、あの《剣皇》なのですか?」
 《相殺》と《封殺》という異能の戦技を誇る強さに、彼の職位を《聖騎士》か《神聖騎士》だと思っていた俺は、純粋な驚きからそう口にしていた。
「ああ、どの《剣皇》なのかは分からないが、俺は正真正銘の《剣皇》だよ」
 雷聖は、俺の過剰ともいえる反応も大して気にせず、軽い口調で肯定の言葉を返す。
・・・えっ?
 それは一瞬の事だったが、不意に雪華と交えた視線の先で、彼女に睨まれた様な気がした。
 その事実を確認しようとした俺の意識を、雷聖の言葉が遮る。
「実際、戦場で《王》の喉下に刃を突きつけるには、そこに至る為の道を切り開かなくてはならない。それを考えれば、お前が望んでいる事は、無茶を通りこして無謀ですらあるな」
 雷聖が口にしたその指摘は、至極尤(もっと)もであり、俺が目的を果たす上での重大な課題であった。
「貴方に雪華さんがいるように、俺にもそんな存在がいれば、無謀も無謀で無くなるのですが・・・」
 雷聖と雪華の二人が持つ関係に嫉妬のようなモノを感じ、俺は、そんな言葉を口にしていた。
その次の瞬間、俺の両頬に痛みが走る。
・・・っ!
 一瞬、何が起きたのか理解できない俺。
 驚きに見開いた瞳に、怒りの炎を宿した雪華の瞳が重なる。
 両手で挟むようにビンタされた頬より、向けられた眼差しの鋭さの方が痛かった。
「君は、何も分かっていない! 打(ぶ)たれたその痛みは、雷聖とサフィア、二人分の心の痛みよ!」
 雪華が何を言っているのかは分からなかった。
 しかし、彼女を深く傷つけた事だけは、その瞳の奥に隠した哀しみの色から理解できた。
「他者の優しさに甘えて、その重さに気が付いていない貴方では、《王》と呼ばれる存在は愚か、それを護る親衛者達を討ち破る強さすら得られない!」
・・・俺は、彼女の想いの何を裏切ったのだろうか?
 自らの心にその答えを探し求める俺の視線の先で、雪華は、身を翻して俺に背を向けた。
「・・・行きましょう、雷聖」
 雪華は、パートナーへと促すその言葉に、相手に対する申し訳ない想いを滲ませていた。
「悪い、雪華。後で追いかけるから、先に行ってくれ」
 苦笑を浮かべてそう応えた雷聖に、雪華は、無言で頷き苦笑する。
「じゃ、サフィア。貴方も・・・。貴方の武運を祈っているわ」
 彼女は、俺のナビに対し一旦口にしようとした言葉を飲み込むと、代わりに冒険者にとって別れの儀礼となる挨拶の言葉を口にする。
 そして、彼女は、その場から去る為、ゆっくりと歩き出した。

『 L・O・D ~ある冒険者の追憶~ 』 上編


 その出会いを一言で言い表すならば、それは『邂逅』という言葉こそが相応しいだろう。

「嗚呼、空が蒼いな・・・」
 仰向けに寝転がる俺は、その視線の先に在る天を見詰めて呟いた。
俺が住む世界が『神蒼界』と呼ばれるのは、この空の蒼さに由来しているのだろうか。

「ねぇーねぇー、そんな所に寝転がって何してるの?」
・・・自分で自分の不甲斐無さが情けないです。
「・・・そうですね。一体、俺は何を遣ってるんでしょうね・・・」
俺は、頭上からもたらされたその問い掛けに対し、まるで独り言のように呟き返して正気に戻る。
「だっ、誰ですか!?」
 突如現れたその存在に対する驚きの声を上げて、俺は、自分を見詰めている相手へと視線を向ける。
 俺の瞳に映る影は二つ。
 一つは、冒険の供であるナビ・パートナーのサフィア。
 そして、もう一つが問い掛けの主たる存在であった。
 蒼天から降り注ぐ光の眩しさにぼやけるその二つのシルエットは、よく似た形をしていた。
 俺のナビであるサフィアは、『ネコ』と呼ばれる生き物に似ており、その皮衣の模様は大理石のような色合いを持っている。
 もう一つの影は、サフィアと同じ様にケモノの如き耳を生やし、純白色の皮衣を身に纏(まと)う姿ながら、サフィアとは違い『人間』であった。
・・・『獣人族』?
 『獣人族』、それは、『神蒼界』に隠れ住み、滅多に見る事の無い希少的存在とされる亜人の一種である。
「こんな所で何時までも寝転がっていると、トロルの群れに踏み潰されちゃうよ」
 観察とそれに対する思考にふけて問い掛けを無視する形になった俺の態度にも構わず、その存在は、親切な忠告をしてくれた。
「・・・もう、遅いです」
 そう、俺が今こうしているのは、そのトロルの群れに遭遇して戦いを挑んだ結果の事であった。
「そっか、そっか。頑張ったね」
 戦いに敗れ、身動きも出来ずに倒れている俺の頭を撫でながら、その存在は、そんな慰めの言葉を口にした。
 その眼差しから伝わってくる優しい温もりには、俺に対する純粋な労りの想いが存在していた。
「ちょっと、待っててね。今、起こしてあげるから」
 そう告げて、彼女(?)は祈るように《力導く言葉》を唱えた。
『《慈愛の女神が与える至高の安らぎ》』
 彼女(?)の祈りに応え、魂が失われていない限り、如何なる傷であろうとも癒すとされる究極の治癒魔法が発動する。
・・・っ!
 一瞬にして、戦闘不能状態の傷を癒すその魔法の効力を前にして、俺は、驚きの言葉を洩らす事すら出来なかった。

「ありがとうございます。それにしてもスゴイですね」
 何とか正気に戻った俺は、感謝と興奮の入り混じった態で、彼女(?)に対し、お礼と賞賛の言葉を告げた。
「如何致しましてです。必要に応じて身に着けた力だから、自慢にはできないわね」
 俺は、返されたその言葉の口調から、相手が女性種である事を知る。
 そして、見た目や態度に在る愛嬌に反し、彼女がかなり高いクラスに位置する冒険者である事も。
「イヤ、そんな事無く本当にスゴイです。貴方は、《神聖魔導師》ですか?」
 《神》と呼ばれる高次の存在に仕え、その敬虔なる意志を以って《神》より加護を受ける者達は、この世界では《神官》と総称される。
 その中でも、《神》の使徒として尋常ならざる修練を積み重ねた者のみが至れる地位、それが《神聖魔導師》であった。
「えぇーと、正確に言えば、私はねぇ、《魔司(ルーン・マスター)》だよ」
・・・《魔司》っ!?
 俺は、噂に聞く、否、噂にしか聞かないその魔導師の最高位にある存在を目の当たりにして、再び驚きの声も洩らせない程に驚く。
 彼女が見栄を張って嘘を吐いている筈も無く、俺の傷を癒す為、実際に見せてくれた実力を思えば、そんな事を考えることすら失礼であった。
・・・それにしても、『獣人族』にして《魔司》とは何とも希少な存在なのだろうか。
 そんな事を思っていた俺の頭に何かが引っかかったが、それが何であるのかの答えは浮かんでこなかった。
「《魔司》になるなんて、スゴイ修練を積んだのでしょうね」
 それこそ、俺なんかには想像も付かない位に。
「えぇーと、如何なのかなぁ。気が付いたらなってたって感じだったし・・・、ねぇ」
 彼女は、そう口にして、サフィアに視線を向けた。
・・・イヤ、ウチのナビに同意を求められても困るのですけれど。
 俺のそんな思いを知ってか知らずか、サフィアは、彼女の言葉に唯微笑みだけを返す。
「ねえぇ、キミは強くなりたいのかな?」
 その眼差しを俺に向け直し、彼女は、そんな問い掛けを口にした。
 向けられた真っ直ぐな眼差しに圧されるように、俺の胸の鼓動が跳ね上がる。
 俺は、そんな自分の反応を誤魔化すように、慌てて言葉を紡いだ。
「この世界に強くなりたいと望まない人間が居るんですか?」
 戦場で自らの強さを顕示する事を誉れとし、その為の力を求めて危険を冒す者。
 それが俺の知る『冒険者』と呼ばれる存在であった。
 冒険者ではない者達だって、『魔物』と呼ばれる危険な存在が蔓延(はびこ)るこの世界では、自分の身を護る為の力を必要としているだろう。
「・・・。多分、居ないわね」
 一瞬の沈黙、そして、彼女はそう呟いた。
 その沈黙の意味を図り兼ねている俺に対し、彼女は、更に言葉を続けた。
「でも、強さを求める理由は人それぞれだから、全ての人間が望んで力を得たとは限らないわよ」
『強さを求める理由』、彼女が口にしたその一言が俺の胸を疼かせる。
俺にも、『それ』は確かに存在した。
 否、俺は『それ』を果たす為に、この世界を生きていると言っても過言では無かった。
 では、《神》の加護の証である《魔導》を極めし者、《魔司》と成り得た彼女にとっての『それ』は如何なるモノなのだろうか。
 俺は、そんな興味を抱く。
「貴女には、他者に優るその理由が在るのでしょうね」
 俺は、半ば無意識に、抱いた興味を示す言葉を口に出していた。
「如何なのかしら、私は唯、強くならなくてはならなかっただけで、特別な理由なんて無かったような氣がするわ」
「曖昧、ですね」
 彼女が語る言葉の意図を理解するのが難しくて、俺は、そんな言葉を返す事しかできなかった。
「ええ、そうね。曖昧だわ」
 彼女は、俺の言葉に気を悪くする所か、その言葉を素直に受け入れてくれた。
「やっぱり、私じゃキミに上手く伝える事が出来ないみたい。だから、そういうのが得意な人間を連れてくるわ。ちょっとだけ待っててねぇ」
 彼女は、苦笑混じりに微笑むと、俺の返事も聴かずに何処かへと走って行ってしまう。
 残された俺は、サフィアの傍らで空を仰いだ。


「お待たせぇです」
 暫く待つ事も無く、直ぐに彼女は、俺達の所へと戻って来た。
 一人の剣士を伴って。
「えーと、何だ。俺は、何の為にここまで引っ張られて来たんだ?」
 彼女に腕を摑まれ、その言葉の通り引っ張られる形で俺達の前まで連れられてきた件の剣士が、訳も分からない様子で尋ねる。
「えぇーとねぇー、何だっけ?」
 間延びした口調で告げられた彼女の返答に、剣士が更なる困惑の表情を浮かべた。
「冗談で連れて来たんなら、悪いが俺は遣る事が在るんでもう行くぞ」
 剣士は、苛立ちに眉をしかめながら、そう彼女に告げ、踵(きびす)を返して歩き出した。
「待ってよ!」
 慌てて制止する彼女。
 立ち止まり振り返った剣士は、無言の眼差しで『何だ?』と尋ねる。
 その眼差しを受けて彼女が、視線を俺へと投げ掛けてきた。
 彼女の意図する所を理解した俺は、それに応えて口を開いた。
「あの俺、強くなりたいんです!」
 我ながら、直球過ぎる言葉であった。
 案の定、剣士の視線が冷たく冴える。
「ああ、そうか。頑張れ!」
 剣士は、無感情な眼差しを俺に向けてそう応えると、再び歩き出した。
・・・嗚呼、終わったな。
 俺は、剣士の反応からそう判断する。
 しかし、それは次の瞬間、見事に裏切られる。
「ちょっと待ちなさい!」
 彼女が口にしたその言葉と、それに伴う行動は、正確に言うならば、先刻のような制止ではなかった。
 そう、それは、言葉や行動による『制止』では無く、手にした魔導補助の為に在る杖での『殴打』であった。
「・・・っ!」
  俺は、彼女の突拍子も無さ過ぎる行為に、言葉を失い呆然とする。
「・・・痛っ!」
 それ程強い力が加えられて無かったのか、剣士は、言葉とは裏腹に本気で痛がっては居なかった。
「何故、俺が叩(はた)かれなきゃならんのだ?」
・・・確かに、この上も無く正統な主張である。
「うるさぁーい! 『頑張れ!』ですって! 何よ、それ! 最後までちゃんと話を聴いて行きなさい!」
・・・そんな、それは余りにも理不尽なのでは?
「キミも、こんな無礼な態度を取られたら、首根っ子を引っ掴んで引き摺り戻して遣りなさいよ!」
・・・済みません、それは流石に無理です。
「分かった、分かった。ちゃんと最後まで話を聴いてやるよ」
・・・貴方も良いのですか、それで?
「という訳だ。ちゃんと話してみろ、少年」
「ああ、はい!」
 目の当たりにした出来事の特異性に我を忘れていた俺は、剣士が投げ掛けた言葉で正気に戻ると、慌ててそれに応える。
 そして、俺は、何とか自分の想いを伝えようと語り始めた。

「ふーむ、成る程。要するに、君は、如何したら強くなれるのかを知りたい訳だ」
 剣士は、俺の話を黙って聴き終えると、確認するようにそう口にした。
「はい、そうです」
「うむぅ、それは何とも難しい質問を・・・」
 剣士は、俺の返答に困惑ともいえる苦笑を浮かべて呟いた。
「じゃあ、逆に尋ねよう。少年が求める『強さ』とは如何なるモノなんだ?その答えによっては、俺じゃ何の力添えも出来ないからな」
 俺は、剣士にそう尋ねられて、自分の求める強さについて考える。
「貴方は、この世界で『王』と呼ばれている二人の存在を知っていますか?」
 一見、無関係かと思われる俺の問い掛け。
しかし、俺が口にしたその問い掛けは、剣士が求めたモノに対する答えへと確かに通じていた。
「・・・? 《秩序の光》と《力威の闇》を統べるあの二人の事か?」
 剣士は、俺の意図する所を量り兼ねて訝りながらも、問い掛けに答えた。
「はい、そうです」
「ああ、色々な意味で知っているよ」
 知っているという剣士の返答に、俺は、それなら話が早いと単刀直入に全ての応えを示す。
「俺が求めるのは、彼らを倒す事が出来る強さです」
 そう、それが俺にとっての『強さを求める理由』であった。
「ほぉう、成る程な。訳ありという事か。如何やら気安く訊く事でも無さそうだし、それに大体の想像も付くから、何が在ったのかは訊かない。しかし、これだけは訊いておこう。少年、君が求めるのは彼らを戦場に討ち破る誉れなのか?」
 俺が強さを求める理由を聴いた剣士は、全てを見透かすように意味深な笑みを浮かべる。
そして、次の瞬間、笑んだ眼差しの内に見えない刃を隠してその問い掛けの言葉を口にした。
「いいえ、俺が求めるのは、唯、彼らを打ち破り、全ての遺恨を雪(すす)ぐ事だけ。だから、戦場の誉れとか、そういうモノは如何でも良いです」
「成る程な、『復讐するは我にあり』という事か・・・」
 そう納得して呟く剣士の眼差しからは、先刻感じた刃の鋭さが消えていた。
「冒険者の一人である以上、俺も綺麗事を言う積りは無い。だが、復讐からは何も生まれない。否、寧ろより悪い結末すら招き兼ねないぞ。それでも君は力を求めるのか?」
 その憂い言葉と共に伝わってくるモノは、悲哀。
 そして、それは絶望にも似た想いであった。
「彼は、違うと思う。だから、信じてあげて」
 それまでずっと黙って、俺と剣士の遣り取りを見守っていた彼女が、初めて口を開いた。
「そうか、お前がそう言うのなら、俺もそれを信じよう」
 彼女の言葉を受けて、剣士の憂いが一瞬にして掻き消える。
 それだけ深い信頼の絆でこの二人が結ばれている事が伝わってきた。
「これも又、俺にとっての宿命だ。僅かではあるが力にならせて貰おう」
 剣士は、強く真直ぐな眼差しで俺を見詰めて、快諾の意志を示した。


『口で言うよりも実際の戦いの中で示す方が分かり易いだろう』
そう言って剣士が俺達を連れて来た場所は、俺と彼女が出会った所からそれ程離れていない山岳地帯だった。
 特別な変哲も無い山並みを眺めながら歩く俺の目に、天然の産物であろう洞穴の存在が映る。
「あそこが目的地だ」
 俺の視線の先に在る洞穴を指差し、剣士は、その場にいる全員に対してそう告げた。
 剣士の言葉に促される形で、その洞穴に意識を集中させた俺は、その入口をうろつく存在を見て、彼が言う『目的』の意味を理解する。
「・・・先刻のトロル達」
 実際の所、その姿を見てちゃんと区別が付く訳ではなかったが、それは間違いなく件の魔物達であった。
「成る程、それで奴らの中に手負いが混じっていたのか」
 剣士は、俺の言葉に納得を示して、更に言葉を続ける。
「細かい話は省くが、あそこに巣食っているトロル達は普通の奴らと少し違って、妙に群れの統率が取れている。それで、今まで討伐に成功した者が無く、その被害はかなり大きく広がっている訳だ」
「で、冒険者ギルドから泣き付かれる形で依頼を受けた貴方は、喜々として私を放置した上で討伐に乗り出した訳ね」
 剣士の説明を受けて彼女が口にした言葉には、明らかな棘が含まれていた。
それから察するに、ここで重要となる事実は、『喜々として』の部分が『放置』と『討伐』のどちらに掛かるモノなのかみたいである。
その答えが剣士の口から示されると大変な事になる様な予感がして、俺は、咄嗟に二人の会話に口を挟んだ。
「喜々として討伐したがるなんて、貴方は、トロルが嫌いなんですか?」
 トロルという敵の手強さを実感したばかりの俺は、状況的援護の意味も込めて、剣士へとそんな疑問を投げ掛ける。
「ああ、嫌いだ。否、正確に言うなら、その存在すら許したくないな」
 そこには、『蛇蝎の如く』という言葉でも言い足らない純粋な嫌悪が存在していた。
 それ程までの嫌悪を抱く理由が分からずにいる俺の様子を見て、剣士は、再び口を開いた。
「少年、アレが獲物として狩るモノが何だか知っているか?」
 訊かれた俺は、その答えを知らないので素直に首を振って、それを示す。
「主に山野の動物。だが、奴らにとって一番の好物である獲物は、人間の女や子供だ」
 剣士が語るその説明を聴いても、俺は、『獲物』と『人間』という二つの言葉が同列で繋がらなかった。
 だが、剣士がトロルという存在を嫌悪する理由は、その説明だけで十分以上に充分であった。
「どうせ、女子供を襲うんなら、先ず、このチッコイのを狙えばいいのにな」
 剣士は、そう言って彼女の方に意地悪な視線を送った。
「ちょっと! それって、如何いう意味よ!」
 当たり前のことだが、彼女は眉を吊り上げて怒る。
「お前なら、襲われても確実に返り討ちにできるからな」
 その言葉に込められた彼女に対する信頼が、先刻の剣士の発言にそういう意味での悪意が微塵も無い事を物語っていた。
 それを感じ取ったのか、いっきに彼女の怒りが冷める。
「まぁ、取り敢えず、冗談はこれ位にして、話を本題に戻そう」
 口にしたその言葉の通り、真剣な表情になった剣士の態度に俺を含めた全員の表情が引き締まる。
「見ての通り、奴らは洞窟を根城にして、近くの人里を襲っている。このまま放っておけば、更に仲間の数を増やして被害を広げるだけだ。それを防ぐ一番の方法は殲滅だが、ああ見えてトロルという奴は狡猾な上、連中は異常なまでに群れの統率が取れている。恐らく、殲滅するのは難しいだろう。という訳で、俺が最良の策として考えたのは、連中の首領を討ち、その上で群れの数を一匹でも多く減らす事だ」
「蛇を殺すには先ず頭を叩けという事ですね」
 俺が口にした言葉を受けて、剣士が満足気に頷いた。
「ああ、そうだ。具体的な作戦を説明すると、俺が敵の首領を討ち取る為に突入するから、お前達三人は適当に後方支援してくれれば良い」
・・・あの、『それ』は全然具体的な作戦になっていませんが。
 その心の声を言葉にしようとした俺に先んじて、彼女が口を開いた。
「了解、油断してしくじらないでよ」
・・・本当に、それで良いのですか?
 俺は、事無げに賛同の意志を示す彼女の反応にそんな疑問を抱いたが、最早、その場の雰囲気はそれを口にする事を許してはくれなかった。
「少年、多少の無茶はして貰うが、無理をさせる積りは無い。唯、生き残る事だけを考えて俺に着いて来い!」
 それこそ無茶苦茶な事を言われているのだが、何故か俺が感じているのは、怖れではなく頼もしさであった。
 俺は、妙に熱いモノを胸に感じながら、黙ってその言葉に頷いた。
「では、皆、行くぞ!」
 剣士は、短く言い放つと宣言通り、自らが先陣を切って敵の前へと躍り出る。
『《戦神の猛き咆哮》! 《戦女神の慈愛》! 《武神の強固なる護剣》!』
 彼女が操る《力導く言葉》と共に、連続で戦闘補助魔法が詠唱発動される。
その魔法の効力は、俺の身体を並々ならぬ戦いの力で満たした。
 自らを満たす力の充足感に高揚する俺の目の前に、敵である魔物の群れが立ちはだかる。
 そして、現れた敵の数は、俺の予測を遥かに上回り、俺たちは一気に敵の群れに取り囲まれた。
 しかしながら、予測を遥かに上回っていたのは、その敵の数ではなく、寧ろ、味方である存在の実力であった。
 それは、正に想像を絶していた。
 得物である長剣を手に短くも鋭い気合いの声を発して敵の群れと渡り合う剣士。
 その戦い振りは、荒ぶれる雷の化身の如くに烈しく、群がる敵を次々に薙ぎ払って行く。
 多勢に無勢という状況すら楽しむような剣士の狂瀾(きょうらん)を前に、何時しか敵の群れはその恐怖に支配されて行った。
 壮絶な剣士の戦い振りに圧されたトロル達は、完全に浮き足立ち、その中には、他の仲間を踏み付けにしてでも逃げ出そうとする者まで現れ始める。
「逃げる奴は無視して、一匹でも多く仕留める事だけ考えろ!」
 俺達に向けた剣士の指示の言葉を理解したのか、トロル達は、我先に逃げ出そうとして総崩れとなった。
 それによって、戦況は完全に俺達の有利となり、そのまま戦いの決着が着くかと思われた。
 しかし、その予測は敵の新手として現れた一匹の存在によって覆される。
『ぐぇうふぉっほッ!』
 それは人間である俺の耳には、唯の奇声にしか聞こえなかった。
 しかし、トロル達にとっては、遥かに違っているらしかった。
 その一声を受けて、敵が抱いていた恐怖が完全に拭い去られるのを俺は感じ取った。
 そして、次の瞬間、俺はその存在によって、信じられないモノを見せられる事となる。
『《滅びを知らぬ禍々しき邪輩の輪舞》!』
 その《力導く言葉》によって、俺達によって倒されたトロル達の屍(かばね)に、歪んだ命が植えつけられる。
 それは、《邪神》と呼ばれる存在の力によって、魂を失った器を操る暗黒の魔導。
「成る程、《邪神》の力に当てられて生まれた変異主か。面白い、俺が相手になってやろう!」
 剣士は、敵の首領であるその存在の正体を見抜くと、好戦的な笑みを浮かべて言い放った。

『《猛る白炎の息吹》!』
 彼女が紡ぐ《力導く言葉》が、灼熱の刃となって敵の一群を薙ぎ払う。
・・・スゴイ。凄すぎる。
 俺は、その絶大な威力を前にして、畏怖にも似た感情を抱いていた。
「気を抜いたら、呑まれるわよ!」
「くっ!」
言い放たれた言葉に正気を取り戻した俺は、反射的に振るった刃で眼前の敵を退ける。
 その俺の背後では、ナビであるサフィアが必死の態で敵の先陣に攻撃魔法を放ち続けていた。
 正に悪戦苦闘の状態にある俺とサフィアを援護しながら、彼女は、焦燥の色を全く見せない見事な戦い振りを見せていた。
 そんな彼女の上を行く戦い振りを示すのは、敵の首領を相手にした剣士である。
 彼は、暗黒魔導によって操られる不死の傀儡兵達を相手に、獅子奮迅の勢いで暴れまくっていた。
 一撃一撃の鋭さは烈しい程に冴え渡り、相手の四肢を斬り裂く事で、死を知らぬ不死者達の動きを封じて行く。
 そこは、生者たる俺達と死者たる魔物達との壮絶なぶつかり合いの場となっていた。
「そろそろ終わりにするぞ!」
 剣士は、戦う術を失い大地に蠢く魔物の群を一瞥して言い放ち、その鋭い視線の先に敵の首領を映す。
『うごぉっほっぉッ!』
「咆えるな、耳障りだ!」
 向けられた狂暴な殺意を威勢よく一蹴した剣士は、その言葉を気合いに代えて、得物である長剣を振り降ろした。
 渾身の力を込めて放たれる鋭い一撃。
 それは剣士の狙いに違わず、敵の身体を真っ二つに斬り裂くかと思われた。
 しかし、退けられたのは、剣士の方であった。
「・・・っ、《理に逆らう反撃の刃》か!」
 剣士の表情が身に受けた攻撃の痛みに苦悶する。
 俺には、何が起きたのか分からなかったが、その原因が敵の操る暗黒魔導に在る事は確かだった。
 その様子を見て微かな動揺を浮かべた彼女は、直ぐに手にした杖を握り直す。
『《在るべき真聖のことわ・・・』
「不要だ!」
 剣士は、短く言い放ち、彼女が試みようとした魔導を制止した。
「ふざけた真似をしてくれたな」
 無論、それは敵の首領へと向けられた言葉であった。
「・・・マズイ、わね」
剣士の言葉を聞いて、何故か焦燥に近い反応を示す。
「お前がその気ならば、こちらも多少の本気を出してやろう!」
 それは傲慢なまでの自信に満ちた言葉、否、意志と呼ぶべきモノであった。
『ぐぇっほぉくぁっ!』 
 嘲り咆える敵の首領。
 それを無言で睨み返した剣士の瞳に、憤怒の炎が燈る。
「この身は罪に落ち、その魂を闇に染めようとも、我が心からは《穢れ無き栄光》と《穢れを知らぬ威光》の光は失われず。鋭く堅き金剛の刃よ、その天聖の御力を以って二つの神輝を連ね、我が敵を討ち滅ばす神雷となれ!」
 剣士が紡いだ《力奮う真名》に応えて、その手に在った剣が淡い光を身に宿す。
「行くぞ、《峻列なる神雷》!」
『《大いなる魔神皇の守護結界》!』
 剣士の《力持つ真名》と彼女の《力導く言葉》が、同時に響き放たれた。
 剣士の《戦技》によって生まれた荒れ狂う雷撃の力は、敵の首領を呑み尽し、更には、その余波で周囲に在った魔物達までをも灰燼に帰す。
 目を焼く強烈な光の渦が消えた時、剣士以外でそこに残ったのは、結界によって護られた俺達のみであった。

「ふぅー、終わったな」
 遣り遂げた者の表情で溜めた息を吐く剣士。
 その隣で、プルプルと震えている彼女。
 そして、その二人を唖然と呆けて見詰める俺とサフィア。
 それはある意味、厳かな静寂の空気に満ちた一時であった。
「『ふぅー、終わったな』じゃなぁーい!」
 その一喝で静寂を打ち破った彼女は、自らの想いを示すように杖で剣士の頭を叩く。
「何をする、何を!」
 訳も分からず叩かれたと抗議の言葉を返す剣士に、彼女の怒りが跳ね上がる。
「敵諸共で私達まで仕留める気なの、貴方は!」
・・・はい、冗談抜きでやばかったデス。
「莫迦な、あの程度で遣られる貴女様じゃないだろう」
・・・えーと、それは否定しないという事ですか?
「それに、あの戦技は、邪悪なモノにしか本来の威力を発揮しないぞ。まさか、邪悪?」
・・・あのー、そこいらで止めないと流石にマズイんじゃ・・・。
 言うまでも無く俺の危惧は、直ぐに現実となる。
『《魂凍える氷箭》!』
 その《力導く言葉》によって生まれた氷結の矢箭が、雨霰(あめあられ)の如く剣士へと放たれた。
 その無数からなる氷矢群を剣士は、無言のままに剣腹で叩き返して行く。
・・・マジ、ですか。貴方は一体、何者なんですか?
 《魔導》、そう呼ばれる異能の力は、その名の通り《魔》の領域に属し、物理によって抗えるモノでは無い筈であった。
 常識すら打ち破る現実を目の当たりにして、俺の頭は混乱を極める。
「大人しくお仕置きされなさい!」
 彼女の厳しい声が、オーバーヒート寸前にあった俺の頭を刺激した。
 更なる魔導を発動させて、剣士への『お仕置き』を試みる彼女。
それを余裕すら感じさせて喜々と回避する剣士。
そんな二人の攻防を唖然と眺め続ける俺の脳裏に、人伝に聞いた或る話が甦る。

『この世界には、素で魔導の魔力を斬る技を会得した存在がおり、その技の開眼の理由は自分のパートナーの魔法攻撃から逃れる為らしい』

 そんなレアを通り越して、『アレ』な伝説を持つ者とそのパートナー。
 その名は・・・。

「《雷斬りの雷聖》! 《純白の魔女神・雪華》!」
 俺は、全ての疑問をその二つの存在に符合させて、驚きの余り叫んでいた。
 一瞬キョトンとして、互いに見詰め合う剣士と彼女。
 そして、剣士が何事かと不思議そうにしながら全てを肯定する。
「いきなり、ヒトの名前を絶叫とは、一体如何したんだ、少年」
・・・否、絶叫はしていません。多分。
「あ、済みません。お二人があの有名な方達だと分かってつい」
二人の力量と、そして何より女性の身で《魔司》に至った彼女の存在から考えれば、その正体は始めから決まっていた。

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